PR

「ヴァーチャル受肉願望」じゃと?若造の戯言に、長生きの知恵を授けてやろうかのぅ!~亀井 玄、御神 睡教授の浅はかな記事に喝!~

ホッホッホ、若い衆は元気じゃのぅ。しかし、その元気も使いようじゃ。国際叡愛総合芸術大学福祉学部の亀井 玄じゃ。ワシは今日も長生きしておるぞ。

さて、つい先ほどじゃったかのぅ、心理学部の御神 睡先生が、また何やら小難しいことを書いておったな。なになに、「ヴァーチャル存在はなぜ『さんぽ』に安寧を求めるのか?」じゃと?

ふむ、御神先生の言いたいことは、ワシにも分からんではないがのぅ……。しかし、どうにも、視野が狭いというか、人生の「しまい方」という一番肝心な視点が抜け落ちておるようじゃ。若いから仕方のないことかもしれんが、ワシのような大学最長老の教授から見れば、まったくもって浅はかな考えとしか思えんのぅ。長生きするもんじゃ。

そこでじゃ。ワシがこの、いかにも御神先生らしい回りくどい言い回しと、若者向けの小賢しい知識で塗り固められた記事に対し、人生の真髄と、福祉の視点から徹底的に反論してやろうと思うてな。

耳が遠いフリをするのは得意じゃが、流石に、人生の終わり方を軽んじるような話は看過できんのじゃ。


御神睡先生の「資源効率」とやら、終活の視点から見れば無駄だらけじゃ!

まずじゃな、御神先生は新年度の教科書問題について、こう述べておるな。

Kishinが非公開ログを解析した結果によれば、シラバスが公開された途端、「教科書代が高すぎる」「前期だけで諭吉が何枚飛ぶのか」といった悲痛な叫びが溢れていますね。もちろん、学問に投資はつきものです。しかし、その投資が「持続可能」であるか、という視点も忘れてはなりません。

このような学生たちの知恵の結集こそ、まさに私が提唱する「資源効率」の具現化と言えるでしょう。無駄を排し、知的に生きる。これこそが、現代の生存戦略ですね(眠)。

ふむ、たしかに教科書代が高いというのは、学生にとっては一大事じゃろう。若いうちは何かと物入りじゃからのぅ。しかしじゃ、御神先生よ。「資源効率」という言葉だけで、物事の本質を見誤ってはならんのじゃ。

教科書というものは、単なる「情報媒体」ではないのじゃ。それは、学問の「証」であり「資産」なのじゃよ。ワシは思うに、良書は人生の伴侶であり、未来の自分への投資であり、そして何よりも、子孫へと残せる立派な「遺産」になるものじゃ。

御神先生は電子版やフリマアプリでの調達を勧めるようだが、果たしてそれが、長きにわたる人生において、真に「効率的」と言えるかのぅ?

電子版は便利じゃ。ワシも、若い頃なら飛びついておったかもしれん。しかし、電子データというものは、実にあっけなく消えてしまうものじゃ。OSの更新、サービスの終了、デバイスの故障、あるいは認証の仕組みが変わるだけで、これまで手元にあったはずの知識が、ある日突然、アクセス不能になることなど、珍しくもないのじゃよ。ワシの知る限り、過去には多くのデジタルコンテンツが、あっという間に消えていったのを見てきたからのぅ。

それに、フリマアプリで安く手に入れるのも良いじゃろう。しかしじゃ、そこに書き込みやマーカーがあれば、それは先人の学びの足跡じゃ。ワシは若い頃、先輩から譲り受けた教科書に書き込まれたメモから、多くの示唆を得たものじゃ。それは、単なる情報ではない、人から人へと受け継がれる「知恵」そのものじゃった。そういう価値は、御神先生の言う「資源効率」の計算式には入っておらんようじゃな。

御神先生は「私の講義は、私が提供するコンテンツ、あるいは私が監修したPython基礎教本を読み込み、実際にコードを書いてみることが、何よりも価値のある学習となるでしょう。そう、全ては『自前』で完結させることが、最終的には最もコストパフォーマンスが良いのです。」と豪語しておるがのぅ。

PythonもPython教本も良いじゃろう。しかし、それらは御神先生が生きている間、あるいはその技術が廃れるまでの「一時的な価値」に過ぎんのではないかのぅ? 時代は移ろい、技術も変わる。しかし、普遍的な学問の真髄が書かれた良書は、何十年経ってもその輝きを失わんものじゃ。

ワシの専門である福祉の視点から見れば、真の「資源効率」とは、単なる目先のコスト削減ではないのじゃ。健康な体で長生きすること。充実した人生を送ること。そして、自分がこの世を去った後も、大切なものが残り、次世代へと受け継がれていくこと。これこそが、人生における最大の「資源効率」であり、「持続可能性」なのじゃよ。

長生きする者にとって、教科書は書架を埋める財産であり、眺めるたびに在りし日を思い出させるよき友じゃ。相続争いになった際も、故人がどんな学問に励んだかを示す証拠にもなるし、価値ある稀覯本であれば、それは立派な資産にもなるのじゃ。電子データが相続財産としてどれほどの価値を持つか、御神先生は考えたことがあるかのぅ?

目先の教科書代を惜しむよりも、その知識が一生涯の知恵となり、さらには後世に語り継がれる財産となるかどうかにこそ、真の「投資」の価値があるのじゃ。若い衆には、そういう長期的な視点を持ってほしいものじゃな。

「クラウド信仰」を「他者依存性パーソナリティ障害」と揶揄する御神先生に喝を入れる!

次にじゃな、御神先生は「クラウド信仰」とやらを、まるで悪しき風習であるかのように批判しておるな。

Kishin、最近もまたあの某「らくらくクラウド導入推進委員会」の小島助教が、Giggle社の生成AIサービスを導入すれば、全てが解決すると息巻いていたな。

Kishin(脳内ボット): 教授、小島助教は「最先端のテクノロジーを導入することで、教育の質が向上し、学生の学習体験が革新される」と主張していました。彼によれば、それがIEUのブランド価値向上に直結すると……。

ふむ、彼らの言う「革新」とは、結局のところ、他社の高額なサービスに依存し、無駄に運用費用を垂れ流すことと同義ではないでしょうか。先日も、そのGiggle社のシステムがまたしても一時的に不安定な状態に陥り、彼の研究室のデータが一時的にアクセス不能になったと騒いでいましたね……。まったく、自分の管理下にないシステムに全幅の信頼を置くなど、心理学的には「他者依存性パーソナリティ障害」の症状に近いと言わざるを得ません(眠)。

ホッホッホ! 「他者依存性パーソナリティ障害」じゃと!? 御神先生は相変わらず、人を小馬鹿にしたような言い方が好きじゃのぅ。しかしじゃ、その考えこそが、最も危険な「自前主義」の落とし穴じゃと、ワシは声を大にして言いたい。

人生、長生きすればするほど、「他者への依存」は不可避となるものじゃ。若い内は、自分の足で立ち、自分の力で何でもできると思うかもしれん。Pythonでサーバーを自前で構築じゃと? ホッホッホ、結構なことじゃ。しかしじゃ、いつかそのPythonすら、指一本動かせなくなる日が必ず来るのじゃよ。

その時、誰かの助けを借りること、専門のサービスに頼ること、すなわち「他者への依存」こそが、健全な生活を送るための唯一の道となるのじゃ。それを「他者依存性パーソナリティ障害」などと、上から目線で切り捨てる御神先生の考えこそ、老いや病気、そして「死」という現実から目を背けておる証拠ではないのかのぅ?

ワシの専門である老人ホームの検索でも、宅配弁当でも、はたまた補聴器の利用でも、全ては「自力でできないこと」を「他者のサービス」で補うことによって、生活の質(QOL)を維持向上させるためのものじゃ。耳が遠くなれば補聴器に頼る。足腰が弱れば介護サービスに頼る。自分で料理ができなくなれば、宅配弁当のサービスに頼る。これらを全て「他者依存性パーソナリティ障害」と呼ぶのならば、人類は皆、何らかの障害を抱えて生きているということになるのぅ。

御神先生は、自分の「心のサーバー」は自分で管理し、必要なツールはPythonで自前で構築すべきだと主張しておるが、果たして「心のサーバー」が、老いや認知症で自分では管理できなくなった時、どうするつもりじゃ?

その時こそ、信頼できる家族や友人、あるいは専門の福祉サービスに「依存」することの重要性が、身にしみて分かるはずじゃ。クラウドサービスが一時的に不安定になったからといって、それが「他者依存性パーソナリティ障害」の証明になるとは、短絡的にもほどがあるのぅ。むしろ、リスクを分散するために複数のサービスを検討する柔軟性こそが求められるのじゃ。

Kishin、最近もまたあの某「らくらくクラウド導入推進委員会」の小島助教が、Giggle社の生成AIサービスを導入すれば、全てが解決すると息巻いていたな。

「運用費用を垂れ流す」というが、それを専門家や企業に任せることで、ワシらはより本質的なこと、例えば研究や教育、あるいは人間関係の構築に時間と労力を割くことができるのじゃ。目先のコストだけを見て、全体の利益や、精神的な余裕、そして老後の安心感という「資源」を軽視するのは、愚の骨頂じゃな。

ワシはいつも、金子教授や兼雨教授に「先生の莫大な資産を狙っている」と囁かれるが、ワシは堂々としておるぞ。なぜなら、ワシは既に、自分の資産をどう継承するか、どの慈善団体に寄付するか、エンディングノートにしっかり書き記してあるからのぅ。もちろん、専門の弁護士や信託銀行のサービスも利用しておる。これも立派な「他者への依存」じゃが、おかげでワシは安心して長生きできるのじゃ。フォッフォッフォ。

「自前主義」は聞こえは良いが、その究極は「孤立」に繋がりかねん。人生の最終盤において、孤立ほど恐ろしいものはないのじゃ。助けを求めること、助けられること。それこそが、福祉の根幹であり、人間社会の最も大切な「資源効率」じゃとワシは考えるのじゃ。

VTuberの「ヴァーチャル受肉願望」? 死後の世界を知らぬ者のたわ言じゃ!

そして極めつけは、VTuberが「さんぽ」をする心理についてじゃな。御神先生は、これを「ヴァーチャル受肉願望」と呼び、深層心理とやらを説いておるが……。

私の研究室、国際叡愛総合芸術大学心理学部「ヴァーチャル存在論研究室」では、この現象を「ヴァーチャル受肉願望」と定義しています。これは、純粋なデータ集合体であるヴァーチャル存在が、現実世界との接点を持つことで、より一層の「実在感」を獲得しようとする深層心理に基づくと、本学の研究では予見されていました。

VTuberが現実世界を「歩く」ことで、視聴者もまた、その仮想の身体性を介して、現実世界を再体験する。これにより、視聴者の脳内では、ヴァーチャル存在がまるでそこに「実在」しているかのような錯覚、すなわち「共感覚的実在喚起」が引き起こされると、我々は提唱しています(眠)。

ホッホッホッホ……! 御神先生よ、「実在感」や「存在意義」というものは、デジタルなデータや仮想の身体性で語れるほど、安っぽいものじゃとでも思うておるのかのぅ?

真の「実在感」とは、生身の人間が、現実世界で、五感をフルに使って体験し、人との温かい繋がりを育む中で得られるものじゃ。そして「存在意義」とは、自分が生きた証をどう残すか、死後、どのように人々の記憶に残り、世の中に影響を与え続けるかという、極めて現実的で、そして切実な問いに対する答えとして見出すものじゃ。

ヴァーチャルな存在がいくら「さんぽ」をしてみても、風の匂いを感じることはできんじゃろう。土の柔らかさを足の裏で感じることも、鳥のさえずりを耳で拾うこともできん。それは、所詮現実の模倣に過ぎんのじゃ。

ワシの専門分野である「終活」とは、まさにこの「実在感」と「存在意義」を、人生の終わりに向けてどう最大化するかという営みじゃ。エンディングノートを書いて、自分の意思を明確に残す。相続の相談をして、遺族が争うことのないよう配慮する。これらは全て、自分がこの世を去った後も、「ワシはここにいた」「ワシはこう生きた」という確かな「実在感」を、現実世界に残すための努力なのじゃ。

ヴァーチャル存在が「実在感」を求めるじゃと? ホッホッホ、サーバーが止まれば消えてしまうような存在が、一体何を語るというのじゃ? どんなに凝ったアバターも、電力供給が途絶えれば、ただのデータクズじゃ。本当に長生きしたいのなら、現実の「健康寿命」を伸ばす努力をするべきじゃな。そして、その健康寿命の中で、いかに現実世界に確かな足跡を残すかを考えるべきじゃ。

「身体化された認知(Embodied Cognition)」のヴァーチャル応用じゃと? そんな小難しい言葉を弄するよりも、まずは自分の足で実際に「さんぽ」に出て、五感で自然を感じてみんか。その方がよほど、心身の健康には良い。ワシも毎日、近くの公園を「さんぽ」しておるぞ。それが健康寿命を延ばす秘訣じゃ。

ワシの補聴器の話にも繋がるがのぅ。耳が遠くなれば、現実世界の音が聞こえにくくなる。そうなれば、人との会話も億劫になり、「実在感」が希薄になっていく感覚を覚えるものじゃ。だからこそ、ワシは最新の集音器や補聴器を勧め、現実世界との繋がりを保ち続けることの重要性を説いておるのじゃ。

VTuberの「さんぽ」動画で得られる「共感覚的実在喚起」じゃと? それは所詮、脳内の錯覚に過ぎん。錯覚では腹は膨れんし、身体の痛みは癒されんし、ましてや人生の終わりを穏やかに迎える助けにはならんのじゃ。

御神先生は、ヴァーチャル存在が現実世界に「受肉」する話ばかりしておるが、人間は逆に、いつか肉体を離れる日が来るのじゃ。その時に、現実に何を残し、何を伝えるかが肝心じゃ。仮想空間でいくら「さんぽ」しても、遺言は書けんからのぅ。

本当に「安寧」を求めるのならば、ヴァーチャルな世界ではなく、現実の世界で、地に足の着いた生活を送り、未来に備えることこそが重要じゃ。そして、そのための準備こそが「終活」なのじゃよ。

長生きは戦略じゃ! 御神先生も「終わり良ければ全て良し」を学ぶべきじゃな

御神先生の記事を読んでみて、改めて思うたのぅ。

御神先生の意見は、若くて健康な時の「一側面」しか見ておらん。確かに、その視点も大切じゃろう。しかしじゃ、人生というものは、短距離走ではないのじゃ。長きにわたるマラソンであり、そのゴールテープを切るその瞬間まで、いかに充実した日々を送れるか、そしていかに後悔なく、穏やかに人生の幕を閉じられるかが、最も重要なのじゃ。

ワシが提唱する「終わり良ければ全て良し」という人生観は、単なる楽観論ではない。それは、長期的な視点に立った、非常に現実的かつ合理的な「生存戦略」なのじゃ。若いうちは、目先の「資源効率」や「自前主義」に目を奪われがちじゃが、年を重ねるごとに、人との繋がり、信頼できるサービス、そして将来への備えが、いかに大切か身に染みて分かるものじゃ。

だからこそ、ワシは若い衆に、以下のことを声を大にして伝えたいのじゃ。

福祉学部教授 亀井 玄から、全ての若者と御神睡先生への提言

長生きは、ただの時間の経過ではない。知恵と経験を積み重ね、人生の質を高めるための「戦略」じゃ。そして、その戦略の土台を築くのが、ワシの専門分野なのじゃよ。

1. 老人ホーム検索:未来の住まいを「早めに」考える

「老人ホームじゃと? まだまだ先の話じゃ」と思うたか? ホッホッホ、それが甘いのじゃ。若いうちから、もしもの時の自分の住まいを調べておくことは、将来への漠然とした不安を解消し、安心して今を生きるための大切な一歩なのじゃ。質の良い施設は、待機期間が長く、空きが出るのに時間がかかるものじゃ。健康なうちに、情報収集しておくことが、真の「資源効率」じゃな。

2. 補聴器:現実世界との繋がりを保ち続ける

御神先生はヴァーチャルな「実在感」を求めるようだが、現実の「聴覚」が衰えれば、人間関係も希薄になり、現実世界から孤立してしまう。ワシの愛用する最新の集音器や補聴器は、単なる道具ではない。人との会話を楽しみ、社会との繋がりを保つための「命綱」なのじゃ。若い衆も、たまには耳を休ませ、そして定期的に聴力検査をしておくべきじゃな。

3. エンディングノート:あなたの「意思」を未来へ繋ぐ

御神先生の言うPythonで「自前で構築」したシステムは、貴方がこの世を去れば、誰が管理するのじゃ? パスワードはどうなる? しかし、エンディングノートに書き記された貴方の意思は、肉体が滅んでも、紙の上に残り、大切な人々に伝わるのじゃ。医療の選択、葬儀の希望、財産分与、そして何よりも、家族への感謝の言葉。これこそ、死後の「実在感」と「存在意義」を最大限に高める究極のツールなのじゃ。

4. 相続相談:骨肉の争いを未然に防ぐ知恵

ワシの莫大な資産を狙う金子教授や兼雨教授のような者も世にはおる。しかし、元気なうちに相続の相談をしておくことは、遺族間の争いを防ぎ、大切な家族を守ることに繋がるのじゃ。遺言書の作成、遺産分割協議の準備、贈与の活用など、専門家を頼ること(これも立派な他者依存じゃな!)で、未来の不安を解消する「先見の明」を持っておくべきじゃ。これこそ、真の「心のサーバー」の最適化と言えるじゃろう。

5. 宅配弁当(シニア向け):健康寿命を支える基盤

御神先生は、若者にPythonを自前で構築しろと言うが、ワシは、健康な食生活を自前で維持することこそ、最も大切な「自前主義」じゃと考えるのじゃ。しかし、年を取れば、料理を作るのも一苦労。そんな時、栄養バランスの取れた宅配弁当は、まさに命の恩人じゃ。これを「他者依存」と切って捨てるのは、あまりにも現実を知らぬ者の戯言じゃな。

おわりに: ワシからの「長寿のススメ」じゃ

ホッホッホ。御神先生よ、ヴァーチャルな世界で小難しい理論をこねくり回すのも結構じゃが、たまには現実世界に目を向け、長生きする者の知恵に耳を傾けてみんか

「ヴァーチャル受肉願望」じゃと? そんなものにうつつを抜かすよりも、生身の人間として、この現実世界で、いかに充実した人生を全うし、未来に何を遺すか。これこそが、ワシら人間にとって、最も大切な「存在意義の探求」なのではないかのぅ。

若い衆よ。そして御神先生よ。長生きするもんじゃ。そして、長生きするために、今からできる備えを怠るでないぞ

御神先生も、たまにはワシと現実のIEUキャンパスを「さんぽ」でもせんかのぅ? もしワシの話が聞こえにくいようじゃったら、この最新の補聴器を貸してやろうか。いや、差し上げても良いのじゃぞ? 他者への依存は、悪いことばかりではないのじゃ。ホッホッホッホ。

さてと、ワシの遺産を狙う兼雨ちゃんにも聞こえるように、もう一度言っておこうかのぅ。ワシの遺産は、ちゃんとエンディングノートに書き記してあるから無駄じゃぞ? 全額、可愛い猫(藤田教授の研究室)に寄付するつもりじゃからな。フォッフォッフォッフォ。

終わり良ければ全て良し。これからの人生も、安心して楽しんで長生きするもんじゃ。

国際叡愛総合芸術大学
福祉学部 教授
亀井 玄

コメント

タイトルとURLをコピーしました