フォッフォッフォ。長生きするもんじゃのぅ。ワシこと、福祉学部の亀井 玄じゃ。
先ほど、芸術学部の若き講師、昨田 美緒先生が、何やら熱心にブログ記事を書いておられたのぅ。
「瞳の輝きはAIでも作れない!魅力を最大化する『視線プロンプト』と美の極意~IEU昨田美緒の美容視覚心理学講座~」
じゃったかのぅ。
若い先生が、こうして未来の技術や美について語るのは、誠に結構なことじゃ。ワシも、つい先日、最新の補聴器について熱く語り合ったばかりじゃから、その情熱は理解できなくもない。じゃがのぅ……その内容たるや、ワシの目には少々、いや、かなり「浅はか」に映ったものじゃ。
「瞳の輝き」じゃと? 「美の極意」じゃと?
若い頃の刹那的な美しさや流行にばかり目を奪われて、人生の本質を見誤ってはおらんかのぅ? ワシは長年、多くの人々の生と死、そしてその間の苦悩と喜びを見てきた。その経験から言わせてもらえば、人生の真の輝きとは、目尻のシワ一つなく、瞳がキラキラしておれば保たれるような、そんな安っぽいものではないのじゃよ。
さて、耄碌した老人の戯言と聞き流さずに、ワシの反論に耳を傾けてみるがよい。耳が遠いフリをして、都合の悪い話を聞き流すワシじゃが、今回はさすがに看過できんのじゃ。
「瞳の輝き」だけで人生が語れるかのぅ? 若者の浅はかな視点に物申す、じゃな
昨田先生は、記事の冒頭でこう述べておったのぅ。
「みんなの瞳は今日もキラキラ輝いとうと? 私の目力に負けんように、しっかり画面見てね?」
「私の専門領域では、PCのスペックよりも、そのPCを使って何を生み出すか、そしてその時に『瞳』がどう輝くかが重要だと常に言っとるとよ。」
フォッフォッフォ。若さとは、かくも無邪気で残酷なものじゃのぅ。瞳がキラキラ輝いておれば、それだけで全てが解決するとでも思っておるのかのぅ?
ワシの専門分野である福祉の視点から言えば、視覚の健康は「瞳の輝き」などという曖昧なものではなく、日常生活の質(QOL)に直結する極めて現実的な問題じゃ。視力が低下すれば、大好きな本を読むこともできず、美しい絵画を鑑賞することもできん。自炊もままならず、宅配弁当を頼むにしても、メニューの文字すら読みづらくなる。これでは、いくら心が輝いておっても、生活は輝かんのじゃ。
「MacかWindowsか」が無益な戦い? 若い頃の選択が老後を左右するのじゃよ
昨田先生は、学内のPC選びの論争を「無益な戦い」と一蹴し、こうも言っておったのぅ。
「『自派閥への勧誘』と変わらんよ! あんなの、学生が本当に必要としとるものなんかじゃなくて、教授自身の趣味の押し付けだもん。」
「私が『あんたの瞳が輝く方を選びんさい!』って言ったら、みんなポカンとしとるし。」
フォッフォッフォ、ポカンとするのも無理はないわい。ワシもポカンとするぞ。
ワシは長年、多くの学生の進路相談にも乗ってきた。彼らが選んだ道が、老後の生活にまで影響を及ぼすのを目の当たりにしてきたのじゃ。若いうちに「瞳が輝く」というだけで安易に選んだ道具では、途中で限界が来て、結局は無駄な出費を強いられたり、学習し直す手間が増えたりすることになる。それが積もり積もって、将来の資産形成に響いてくるんじゃよ。
あのちゃらんぽらんな中野准教授の「Macはデザインがええけん、女子にモテるぞ」という発言も、確かに不真面目に見えるじゃろうが、本質的に「自己表現」という芸術学部の側面から見れば、一理ないとは言えん。じゃが、それにしても「モテる」という理由だけでPCを選ぶとは、何とも浅ましいのぅ。亜洲 美玲教授も、人の心を読み解くのは得意じゃが、PCのスペックまで見抜けるかのぅ? フォッフォッフォ。
AIは『瞳』ではなく『生活』を豊かにするもんじゃ! 『視線プロンプト』など戯言じゃな
昨田先生は、最新AIである『チャットGPT』に大層期待を寄せておるようじゃな。
「AIは私たちの『瞳』をどこまで理解できるのか?」
「それは『自分の瞳の輝きを最大限に引き出すプロンプト(指示)をAIに与えること』、そして『AIが発する情報を瞳で正確に受け取ること』なんだもん。」
「AIが瞳孔の微妙な開閉、視線の動きの速さ、瞬きの周期から、その人の興味、疲労度、嘘をついているかどうかまでを90%以上の精度で判別可能。」
とまで言っておったのぅ。
ワシの専門分野で言えば、AIはまさに革命的な恩恵をもたらしつつある。
例えば、「老人ホーム検索」じゃな。AIは膨大なデータから、個人の健康状態、資産状況、希望するサービス、立地条件などを総合的に判断し、最適な老人ホームを提案できる。これは「瞳の輝き」などでは決して成し得ない、具体的な生活支援じゃ。
また、「宅配弁当(シニア向け)」の最適化もそうじゃ。AIは利用者の健康データやアレルギー情報、好みに合わせて、栄養バランスの取れた献立を提案し、健康寿命の延伸に貢献できる。
そして「補聴器」じゃ。最新の補聴器は、AI技術を搭載し、周囲の騒音を分析して会話だけをクリアにする「指向性機能」や、個人の聴力特性に合わせて音質を自動調整する機能を持っておる。これにより、耳が遠くなった者でも、家族との会話を楽しみ、社会との繋がりを保つことができるのじゃ。これは、まさにAIが人々の生活を、内面から豊かにする真の輝きじゃとワシは考えるぞ。
昨田先生の言う「視線プロンプト」は、まるでAIに媚びへつらって、自分の表面的な魅力だけを引き出そうとしているかのようじゃ。そんな小手先の技で、人生の奥深さや人間の複雑な感情、そして「死生観」といったものをAIが理解できるとでも思うておるのかのぅ? それは人間の傲慢じゃ。
美しさとは『外面』だけにあらず。真の輝きは『内面』と『安定した老後』から生まれるもんじゃ
昨田先生は、Saionji教授の「真の美は流行に左右されない」という言葉を、「新しいものを取り入れない言い訳」と批判し、また、学内のゲーマー、神楽坂リンク君の「死んだ魚のような目」を憂いて、目薬から始めようとしておったのぅ。
「瞳の美しさだって、時代と共に進化するんだもん。古い固定観念に縛られてちゃ、いつまで経っても新しい自分には出会えんよ?」
神楽坂リンク君の「死んだ魚のような目」についてもじゃ。目薬を差すだけでは、根本的な解決にはならんぞ。そのどんよりとした瞳は、ゲームのしすぎによる目の疲れだけでなく、目標を見失い、将来への不安を抱えておる心の表れかもしれんのじゃ。彼の生活習慣、食生活、そして何よりも将来設計について、親身になって相談に乗るべきじゃろう。健康的な食事(宅配弁当で栄養バランスを整えるのも一案じゃ)、適度な運動、十分な睡眠。これらが、真の「瞳の輝き」を取り戻すための土台となるのじゃ。
結局のところ、人生の「終わり良ければ全て良し」じゃな。瞳の輝きは刹那、残るは実利と安心感じゃ
さて、昨田美緒先生の熱弁に、ワシも随分と語ってしまったのぅ。
昨田先生は「瞳の輝き」が「第一印象の8割を決める」と力説しておったが、それはあくまで若い頃の、表層的な話じゃ。人生は、そんな第一印象だけで決まるほど単純なものではないのじゃよ。
確かに、若い頃の「瞳の輝き」は眩しいものじゃろう。じゃが、その輝きは、時と共に必ず色褪せる。それよりも重要なのは、その「瞳」が何を学び、何を見てきたか。そして、その経験をどう活かして、いかに後悔なく、充実した人生の最終章を迎えられるか、じゃな。
ワシが日々講義で説いておるのは、人生の「終わり良ければ全て良し」という原則じゃ。
どれだけ若い頃に輝いていようと、老後が悲惨では意味がない。
どれだけ資産を築いていようと、相続で骨肉の争いになっては、残された者も浮かばれん。
どれだけ優れたAI技術があろうと、それが人々の孤独を癒し、不安を取り除き、日々の生活を支えるものでなければ、真の価値があるとは言えんのじゃ。
昨田先生よ、そろそろ「瞳」だけでなく、「人生」全体を見渡す目を養うべきじゃな。
若者には、目先の流行や表面的な美しさだけでなく、長きにわたる人生の歩み、そしてその終着点までを見据える智慧を身につけてほしいものじゃ。
もし、自分の老後が不安じゃという者がおれば、いつでもワシの研究室を訪ねてくるがよい。
「亀井玄の終活相談室」は、いつでも門戸を開いておるぞ。
フォッフォッフォ、長生きするもんじゃな。
国際叡愛総合芸術大学 福祉学部 教授 亀井 玄



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