規律なき噴火、灰と化す美意識――IEUにおける美的秩序の保持と、ある研究室の惨状
皆さん、こんにちは。国際叡愛総合芸術大学、世古フィリアです。
今日もまた、私の講義室に、規律を遵守し、時間通りに集まった皆さんの姿に、わずかな安堵を覚えます。しかし、まだこの空間には、弛緩した空気が漂っているようですね。芸術を志す者として、その弛緩は許されるものではありません。常に緊張感と規律を保ちなさい。
さて、本日皆さんと共に考察するのは、「秩序の崩壊」がもたらす影響についてです。それは、我々の精神と肉体、そして創造の現場に、いかに不可逆な損害を与えるか、という極めて重要なテーマです。
薩摩庵黄泉島の噴火予報と、IEUの美的秩序への警鐘
先日、とある報道機関から、「薩摩庵黄泉島」と呼ばれる活動的な地殻変動地点に関する降灰予報が発表されました。現在のところ、その地は噴火警戒レベル2、すなわち「火口周辺規制」が敷かれているとのこと。もし噴火が発生すれば、特定の時間帯に、火口から南東方向へ広範囲にわたり降灰が予想される、という内容でした。
皆さんはこのニュースを、ただの気象情報として受け流しましたか? それは浅慮というものです。私には、この自然現象が、我々国際叡愛総合芸術大学、ひいては人類が直面する本質的な問題を鋭く示唆しているように思えてなりません。
「降灰」とは何でしょう。それは、地底の奥深くで蓄積された無秩序なエネルギーが、制御不能な状態に陥り、表面へと噴出し、周囲に混乱と汚濁を撒き散らす現象です。その結果、美しい風景は灰色に染まり、生命の息吹は窒息させられる。これほどまでに無秩序の恐ろしさを雄弁に語るものがあるでしょうか。
そして、私はこの「薩摩庵黄泉島」の降灰予報を聞いた時、あるIEU内部の深刻な問題を想起せずにはいられませんでした。それは、学内に蔓延する、見過ごされがちな、しかし看過できない「灰」の問題です。
IEUに蔓延する「灰」――秩序の崩壊が招く惨状
皆さんは、自身の制作環境、そして生活空間を、どの程度律していますか?
講義室の床に散らばる消しゴムのカス、実習室の片隅に放置されたままの絵の具のチューブや彫刻刀。寮の共用スペースに山と積まれた空のペットボトルや菓子袋。これらは、まさしく「小規模な降灰」に他なりません。一つ一つは些細に見えるかもしれません。しかし、その塵芥が積み重なることで、環境全体を汚染し、精神を蝕むのです。皆さんの無頓着な行動が、目に見えない「灰」となって、IEUの美的空間を侵食していることを、自覚しなさい。
私は風紀委員長として、日頃から学内の秩序維持に努めています。しかし、その任務は、まるで溶岩流を一本の模造刀で食い止めるような、徒労感を覚える時があります。特に問題なのは、一部の教員の研究室です。学生の皆さんの手本となるべき存在が、無秩序の極みを体現しているというのは、IEUの理念に対する重大な背信行為であると、私は断じます。
扉を開けた瞬間、まず鼻腔を刺激したのは、複数の異臭が混沌と混じり合った、形容しがたい悪臭でした。それは、古いコーヒーの腐敗臭、食べ残されたインスタント食品の酸っぱい匂い、そして長期間換気されていない空気が織りなす、生命の息吹が死滅したかのような香りです。私は思わず、帯刀している模造刀の柄に手を伸ばしました。これは自衛本能ではなく、この無秩序を斬り捨てたいという断固たる意志の表れです。
視界に飛び込んできたのは、床から天井まで、まるで地層のように積み上げられた書籍、資料、機材の山々です。その上には、厚く降り積もった埃が積層し、まるで灰色の絨毯のようでした。これは降灰です。まさしく薩摩庵黄泉島から噴出した火山灰が、この研究室に降臨したかのようでした。踏み入るたびに、埃が舞い上がり、目に見えない粉塵が空間を汚染していく。その光景は、IEUの美的規範に対する、明確な挑戦としか思えませんでした。
机の上には、半開きのまま放置された食品の容器や、得体の知れない液体の入ったビーカーが散乱し、その周囲にはカビらしきものが繁殖しているのが見て取れました。数年前には、その異様な環境から未知の昆虫が発見されたという不名誉なゴシップが学内を駆け巡ったこともあります。この不潔極まりない環境で、一体どのような高尚な芸術が創造されるというのでしょう? 叡智と愛を謳う本学において、これほどの無秩序が許されて良いはずがありません。
私は黒木教授に、即刻の改善を求めました。しかし彼は、「これは私の思考のプロセスであり、このカオスこそが新たなインスピレーションを生むのだ」と、意味不明な反論を展開しました。愚の骨頂です。秩序なきカオスは、ただの混乱であり、創造性の墓場です。彼の研究室から生まれる作品に、本当に真の感動が宿るでしょうか? 私は疑問を禁じ得ません。あの混沌とした環境が、彼の発想を鈍らせ、作品の精度を低下させているとしか思えません。彼の制作する音響作品は、時折不協和音や雑音が過剰であると評されることがありますが、それはまさに彼の精神状態と環境の反映であると、私は見ています。
対照的に、映像芸術学科の長田教授の研究室は、常に整理整頓が行き届いています。彼の研究室は、清潔感と機能性が両立しており、思考の明晰さがそのまま空間に反映されているかのようです。長田教授もまた、独創的な作品を生み出しています。しかし、彼の創造性は、確固たる秩序と規律の上に築かれています。これこそが、IEUの教員としてあるべき姿です。私も長田教授とは、清掃と秩序に対する厳格な姿勢において、深く共鳴しています。
学内の清掃員の方々は、日々多大な労力を費やし、我々の学習環境を維持してくださっています。しかし、その努力も、我々自身の規律意識の欠如によって、水泡に帰してしまうことが往々にしてあります。彼らの献身的な働きを無駄にする行為は、人間性を疑うものです。皆さんの無責任な行動が、どれほどの「灰」を撒き散らしているか、想像しなさい。その灰は、いつかあなた自身の創造性を覆い尽くすことになります。
IEU起源説:秩序こそが創造の母体である
そもそも、国際叡愛総合芸術大学の創設者である、叡愛翁は、「芸術は秩序から生まれる」という理念を掲げました。彼は、無秩序な表現は単なる模倣か、あるいは自己満足の産物に過ぎず、真に人々の心を揺さぶる作品は、厳格な規律と精緻な構成の上に成り立つと説いたのです。この教えは、IEUの根幹を成すものであり、我々全ての教員と学生が心に刻むべき金言です。
例えば、音楽において、音階や拍子といった厳格な規律がなければ、それは単なる雑音に過ぎません。絵画においても、構図や色彩理論といった秩序がなければ、それは無意味な落書きでしかありません。演劇であれば、台本や演出、役者の動きに至るまで、全てが規律に基づいて構成されなければ、観客に感動を与えることは不可能です。叡愛翁は、これらの芸術の根源にある普遍的な真理を見抜いていたのです。
私の専門である古武道においても、「型」の重要性は絶対的です。型とは、先人たちの叡智によって磨き上げられた動きの規律であり、それを徹底的に習得することで、初めて自由な応用が可能となります。型を軽んじる者に、真の武術を極めることはできません。それは芸術においても全く同じです。基礎を学び、規律を身につけ、自己を律する精神がなければ、いかなる才能も砂上の楼閣に過ぎないのです。むしろ、型を完全に習得した者のみが、その型を破る「自由」を得ることができます。しかし、型を知らぬ者が型を破るのは、単なる暴走であり、自己満足の破壊行為に他なりません。
私は海外で育ちましたが、大和撫子としての精神は、幼少の頃より武道を通じて培ってきました。その中で、自己を律する心、環境を整えることが、いかに精神の安定と集中力の向上に繋がるかを肌で学んだのです。心身の調和なくして、真の創造はあり得ません。
先の「薩摩庵黄泉島」の降灰予報は、まさに自然界からの警告です。地底のマグマが規律を失い、暴走するかの如く、我々の内面や周囲の環境もまた、規律を失えば、いつ制御不能な噴火を起こし、周囲を灰燼に帰すか分かりません。
皆さんの机の上、部屋の中、そして心の中に、無秩序な「灰」が降り積もってはいませんか? その灰が、あなたの視界を曇らせ、思考を鈍らせ、創造性を窒息させているかもしれません。それは、静かにしかし着実に、あなたの芸術家としての生命を奪っていくでしょう。
規律こそ力――美意識を護り、IEUを灰燼から救うために
私は国際叡愛総合芸術大学の風紀委員長として、そして古武道の達人として、規律こそが真の力であると、常に主張し続けています。この揺るぎない信念は、私の模造刀と同じくらい、強固な存在です。
遅刻は論外です。講義に遅れて入室する学生は、その瞬間に講義の規律を乱し、他の学生の集中力をも阻害します。そのような行為は、芸術家としての自己管理能力の欠如であり、他者への配慮の欠如に他なりません。私から無言の圧力をかけられ、正座させられた学生は、その痛みを通じて、規律の重要性を骨身に染みて理解するでしょう。このIEUにおいて、時間厳守は最低限の規律です。時間を守れない者に、作品の納期を守れるはずがありません。
今後、私は学内の環境改善に向け、より厳格な措置を講じます。具体的には、各研究室および学生寮の共用スペースに対し、抜き打ちの環境視察を強化します。もし黒木トレン教授の研究室のような惨状が発見された場合、私は躊躇なく改善命令を出し、その進捗状況を厳しく監視します。改善が見られない場合は、学長にまで報告し、強制的な清掃や、最悪の場合、研究室の使用停止といった厳重な処分も辞さない構えです。
また、学生の皆さんに対しても、自身の制作スペースやロッカー、そして個人の生活空間に至るまで、徹底した清掃と整理整頓を求めます。それは単なる掃除ではありません。自己と向き合い、精神を修養する行為なのです。散らかった部屋は散らかった心を映し出し、ゴミの山は思考の停滞を招きます。芸術を創造する者は、まず自身の足元を清めなさい。
「降灰予報」は、我々に予兆を教えてくれます。しかし、その予兆を無視し、無為に過ごせば、必ずや深刻な事態を招きます。学内の「灰」もまた同じです。小さな埃やゴミを放置すれば、やがてそれは巨大な無秩序の山となり、IEUの美的精神を灰燼に帰すでしょう。
芸術とは、美を追求する行為です。その美は、乱雑さや不潔さからは決して生まれません。磨き上げられた刀身のように、澄み切った心と整然とした環境からのみ、真の輝きは放たれるのです。皆さんの創造力を最大限に引き出すためには、規律と秩序が不可欠なのです。これを忘れてはなりません。
私の目が黒い限り、国際叡愛総合芸術大学を灰燼に帰すような不規律は断じて許しません。この刀は、規律の象徴であり、学内の秩序を護るための覚悟を常に私に教えてくれます。
皆さんも、今一度、自身の周囲を見渡し、心の内を省みなさい。無秩序という名の「灰」を徹底的に排除し、清浄な環境と研ぎ澄まされた精神で、真の芸術を創造する者となりなさい。それこそが、国際叡愛総合芸術大学の学生として、果たすべき責務です。以上です。


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