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「揺らぎ」ごときで何を語るか! 海はそんな生易しいもんじゃないぞ、堂園ボウズ!〜和田湊、生物学部・堂園禅教授の「水槽論」に怒りの一本釣り〜

ああ、またか。またあのヒョロヒョロの観賞魚ボウズ、堂園 禅が、なにやら 「揺らぎの中で見つける真実:水槽が映し出す世界の複雑性と癒やし」 だとかなんとか、世迷い言をほざいておるのう。ワシも疲れるわい、まったく。

「あぁ、またこの季節が来たんだなぁ……。キャンパスには、どこかピリピリとした空気が漂ってる。」 だと?

ワシの肌は潮風で荒れとるが、その肌で世界の脈動を感じ取っておるんじゃ。その「ピリピリした空気」とやらを、ただの不快なノイズとしか捉えられんとは、生物学部の教授として情けない限りじゃのう、堂園ボウズ。それは「揺らぎ」じゃなく、大自然の、そして世の中の 「潮目」 じゃ! 海で魚を追う者にとって、そのピリピリとした空気こそが、大漁の予兆であったり、あるいは 危険のサインであったりするんじゃ。それをただ「しんどい」と閉じこもっておるようでは、一生、水槽の中の培養魚相手が関の山じゃろうて!

ワシから言わせれば、お前さんの言う「揺らぎ」は、ただの「風邪を引いたから寝込む」レベルの些末な変動に過ぎんわい! 本当の「揺らぎ」を知りたければ、荒れる外洋に出てみい! その時、お前さんの言う「繊細な心」とやらが、いかに役立たずか、身をもって知ることになるじゃろう! 今日は、このワシ、和田湊が、お前さんのその浅はかな「水槽論」とやらを、徹底的に論破してやるけん、しっかり聞くが良いわい! 一本釣りフィッシュ!

「ピリピリした空気」? それは「潮目」じゃ、堂園ボウズ!

堂園ボウズは、この学内の、いや、世の中の空気を「ピリピリ」だと表現し、それを 「世界の水槽の水質が、微妙に悪化してるような、そんな感覚なんだ」 などと、感傷的に嘆いておるのう。

キャンパスには、どこかピリピリとした空気が漂ってる。この時期、国立大学の二次試験で、遠方から受験に来た学生さんたちが、ホテルに泊まって試験に臨むんやろ? みんな、不安と期待で胸がいっぱいなんやろうなぁ。

ほう、受験生たちの不安と期待の「ピリピリ」を、水槽の水質悪化と同一視するか。馬鹿を言うでない! それは生命が次のステージへ進むための 「成長の兆し」 じゃろうが! ワシらが船を出す時も同じじゃ。夜明け前の海は、まさにピリピリとした緊張感に包まれる。風向き、潮の流れ、海の色、鳥の飛び方……その全てが、今から始まる一日の釣果を左右する、重要な情報源となるんじゃ。それが分かるかどうかで、その日の漁師の飯の種が決まるんじゃぞ!

本当の「揺らぎ」とは、自然界に常に存在するエネルギーの変動であり、それは生命の躍動そのものじゃ。 魚の群れが移動する時の海面の微細な変化、深海の複雑な海流、気象の変化がもたらす波の高さや向き。これらは全て「揺らぎ」じゃが、その一つ一つに魚がどこにいるのか、何を食っておるのか、どうすれば釣れるのか、という 膨大な情報 が詰まっておるんじゃ。

お前さんの言う「水質悪化」などとネガティブに捉えて、部屋に閉じこもっておるようでは、永遠に「大物」を釣り上げることはできんわい! 受験生たちだってそうじゃろう。その「ピリピリ」を乗り越えてこそ、次のステージが見えてくる。水槽の中の魚が、水質悪化で死んでいく様を眺めて「癒やし」だなどとほざく趣味の悪さには、ワシも呆れるばかりじゃ。

「ヘッドホンとファンクが魂のろ過装置」? 海では通用せんボウズじゃ!

堂園ボウズは、外界のノイズから身を守るために「ヘッドホンでファンクを聴いて、外界のノイズを遮断してる」などと宣っておるが、これはまさに 本物の自然との対話 を放棄しておる証拠じゃ!

ボクは、気圧の変化や人の悪意に特に敏感なんだ。だから、いつもヘッドホンでファンクを聴いて、外界のノイズを遮断してる。このリズムがね、ボクの魂のろ過装置なんよ。

「魂のろ過装置」だと? ふん! 生ぬるいにも程があるわい! 海の上でヘッドホンなどしていたら、波の音、風の音、エンジンの音、そして魚群探知機から送られてくる 「生命の音」 を聞き逃してしまうじゃろうが!

魚群探知機は、超音波を使って水中の魚影や地形を映し出す優れものじゃ。画面には、魚の群れの大きさ、深さ、さらには魚の種類まで推測できるような、様々なパターンが表示される。しかし、これを正確に読み解くには、ただ画面を見るだけでは足りん。波の揺れによるノイズ、海底の複雑な地形が反射する音、時にはプランクトンの群れまでもが魚影と見間違うこともある。これらの「ノイズ」の中から、本物の「魚の群れ」を見分けるには、長年の経験と、五感を研ぎ澄ますことが不可欠じゃ。お前さんの言う「魂のろ過装置」とやらが、ヘッドホンで遮断された五感では、真実を見極めることなどできんわい!

ワシはな、魚群探知機の画面に映る僅かな変化を、風や波の音、潮の匂い、そして長年の経験から培った第六感と照らし合わせて、どこに大物が潜んでおるかを判断するんじゃ。時に、探知機には映らんが、海鳥の動きや、海面に立つ僅かな波紋から、魚の群れを察知することもある。これこそが 「真のろ過装置」 じゃ! 五感をフル稼働させ、自然の全てを受け入れ、その中から真実を掴み取る。お前さんのように、都合の悪い情報を遮断して、自分だけの世界に閉じこもっておるようでは、永遠に海の大いなる恵みを得ることはできんわい!

「確実性を求める心」が自分を縛る? 準備なしに大物とれるか!

堂園ボウズは、受験生たちの「確実性を求める心」を否定しておるが、これには、ワシも心底呆れておるんじゃ。

未来への確かな足がかりを、必死で探してるんだよね。でもね、そういう『確実性』を求める心って、時として、かえって自分を縛り付けてしまうことがあるんだなぁ、ってボクは思うんよ。だって、人生って、そんなに『普通はこう』って、型にはまるもんじゃないでしょう? どれだけ準備しても、予測できない『揺らぎ』が、必ず訪れるんよ。

「予測できない『揺らぎ』が、必ず訪れる」 じゃと? 馬鹿を言え! その「予測できない揺らぎ」に立ち向かうために、徹底した準備と、それを乗り越えるための確実な道具が必要なんじゃろうが!

ワシらはな、一年の半分を船の上で過ごす。その中で、どれだけ予測不能な天候の急変や、予期せぬトラブルに遭遇してきたか、お前さんには想像もできまい! そういう時にな、「まあ、これも揺らぎだよね」 などと感傷に浸っておられるか? 生死に関わる事態じゃぞ!

確実な道具の準備こそが、不確実な自然と渡り合うための唯一の術じゃ! たとえば、ワシの専門である 釣具 を見てみい!

  • ロッド(釣り竿)一本取っても、大物を確実に釣り上げるためには、魚の引きに耐え、かつ繊細なアタリを取れる、最高の感度と粘り強さを持ったものを選ぶ必要があるんじゃ。素材、長さ、調子(硬さ)、ガイドの配置まで、全ては「確実な一匹」を釣り上げるための計算され尽くした結果じゃ!
  • リールもそうじゃ。滑らかな巻き心地は、一見するとただの快適さのように見えるかもしれんが、実はドラグの調整、ラインの巻き取り精度、ギアの耐久性など、全てが魚とのファイトの「確実性」を高めるための工夫の塊じゃ。特に重要なのは、ドラグ性能じゃな。魚が急に走った時に、ラインが切れないように、しかし確実に魚を疲れさせるように、ラインを送り出す機構じゃ。これは精密機械の塊で、その効き具合一つで、大物を逃すか、釣り上げるかが決まるんじゃ! お前さんの水槽のポンプの音などとは、次元が違うのじゃ!
  • クーラーボックスもただの箱ではない。鮮度を保ち、獲った魚を確実に持ち帰るための「確実な保存性能」が求められる。断熱材の種類、密閉性、耐久性、全てが獲物を無駄にしないための工夫じゃ。

人生も釣りも、「揺らぎ」は乗りこなすものであって、ただ受け止めて感傷に浸るものじゃないんじゃ! そのためには、どれだけ準備しても「足りない」という謙虚な心と、徹底した対策、そして最高の道具が必要なんじゃ! 受験生たちが快眠グッズや時計を用意するのも、まさにその「確実性」を追い求める行動じゃ。それを否定するとは、何様のつもりじゃ、堂園ボウズ!

「愛の欠如が社会の混乱を招く」だと? 綺麗事では魚は釣れん!

「ニュースで報道されてるような、企業が抱える問題とか、誰かの不祥事とか、そういう『濁り』の根源って、結局は人間の心の揺らぎ、つまり『愛の欠如』から来てるんじゃないかな、ってボクは思うんよ。効率とか利益とか、そういう目先の『成果』ばかりを追い求めて、本当に大切な『癒やし』や『共感』を見失ってしまうから、ああいう悲しい結果が生まれるんだなぁ。まさに、水槽の中で、魚たちがストレスを抱えて病気になっていくのと、同じ構図なんだ。

ほう、「愛の欠如」とな。きれい事を並べるのは結構じゃが、それでは腹は膨れんわい! お前さんの言う「愛」とやらで、魚が勝手に釣れてくれるのか? 食料が増えるのか? いや、そんなことはありえんじゃろう!

ワシらは、海に出て魚を獲る。それはな、「効率」や「成果」を追い求める、厳しい現実の営みなんじゃ。限られた資源の中で、いかに多くの魚を獲り、それをいかに無駄なく利用するか。それが漁師としての使命であり、生物学的に見ても、種の保存と繁栄のための本能じゃろうが!

「効率」と「利益」は、人間の生存と文明の発展に不可欠な原動力じゃ。 釣具の進化、高性能な船、魚群探知機の開発、これら全ては「効率よく、より多く」という人間の飽くなき探求心が生み出したものじゃ。それがなければ、お前さんの言う「癒やし」だの「共感」だのといった余裕も生まれてこんわい!

お前さんの水槽の中で飼われている魚は、餌をもらって生きているかもしれんが、自然の海では弱肉強食が常じゃ。一瞬の油断が命取りとなる。その厳しさの中で、「愛」だけで生き残れる生物などおらんわい! 人間社会も同じじゃ。もちろん、倫理や道徳は重要じゃが、それを「効率」や「成果」の追求と対立させるのは、あまりにも視野が狭い! それは、現実から目を背けた、観賞魚ボウズの戯言に過ぎん! ワシらが釣った魚を、内臓教授が美味い料理にしてくれるのも、まさしく「効率」と「成果」が生み出す文化の極みじゃ。お前さんの言う「癒やし」とは、次元が違う「生きる喜び」がそこにはあるんじゃよ!

「ボクたちの研究では、このような『愛の欠如』が引き起こす社会的な混乱は、数年前から予見されていたんよ。」

予測と予見ねえ。ワシらも漁に出る前に気象予報は見るが、それだけで全てが分かるわけじゃない。予報が外れることなど、日常茶飯事じゃ。重要なのは、予見した後にどう行動するかじゃろうが! 漁師は荒れる海を避けるか、それとも荒れた海だからこそ大物がいると信じて乗り出すか、その決断をするんじゃ。お前さんの言う「予見」とやらが、ただの杞憂で終わっておるようでは、何の意味もないわい。現実の厳しさと向き合え!

「煌教授の爆音とボクの静寂」? 効率は生命維持の必須条件じゃ!

堂園ボウズは、煌教授の「効率至上主義」を一方的に批判しておるが、これはまさにお前さんの「水槽の中の視点」が露呈しておるな!

煌教授はね、常に『効率』『速度』『最大出力』みたいな、F1の爆音みたいな価値観ばかりを追求してる。ボクの耳元で『禅先生、もっとロジカルに考えてください!』とか『データの裏付けがないと、それはただの感性ですよ!』って、大きな声で叫ぶんだ。彼の論調は、まるで水槽のポンプの流量を最大にして、水流を乱暴に叩きつけるみたいで、魚たちが落ち着かないんよ。

ほう、煌教授が正論を述べておるだけじゃろうが! 「データ裏付けがないと、それはただの感性ですよ!」とは、まさしくその通りじゃ! 「魚たちが落ち着かない」などと、主観で感情的に語っておるようでは、科学者として失格じゃ!

効率は、限りある資源を最大限に活用し、生命活動を継続させるための、もっとも基本的な原理じゃ。 自然界における生物の行動、捕食者の狩り、被食者の逃走、全てが「効率」を追求しておるんじゃ。無駄な動きは、そのまま死に繋がる。

ワシらの使う 釣具 も、まさに効率の塊じゃ!

リールのギア比は、一度のハンドル回転で、どれだけラインを巻き取れるかを示す数値じゃ。高いギア比は「ハイギア」と呼ばれ、ルアーを素早く回収したり、魚を瞬時に寄せるのに効率的じゃ。低いギア比は「ローギア」と呼ばれ、トルクがあって重いルアーをゆっくり巻いたり、大物との力強いファイトに適しておる。どちらを選ぶかは、狙う魚種や釣り方によって変わるが、これも全ては「効率」を追求した結果じゃ。

お前さんの言う 「水槽のポンプの流量を最大にする」 ことと、効率を追求するギア比とは、全く意味が違うんじゃ。ポンプはただ水を循環させるだけだが、リールは、複雑な機構によって、人間の力を効率よく魚を釣り上げる力に変換しておるんじゃ。その精密な技術を、ただの「爆音」だの「乱暴」だのと揶揄するとは、お前さんには、その本質が見えとらん証拠じゃな!

煌教授が言う「ロジカルに考える」ことや「データの裏付け」は、まさしく科学者の基本じゃ。それを「爆音」だの「ろ過フィルターが詰まる」だのと言うて、自分の感傷に浸っておるようでは、本物の生物の営み、自然の摂理を理解することなど、一生できんじゃろう!

「気圧と心の繊細なバランス」? 荒れる海を乗りこなすのが漁師じゃ!

堂園ボウズは、気圧の変化に敏感で、それが心の「揺らぎ」にどう作用するかなどと、またもや自分の感傷的な体験を、さも真理であるかのように語っておるが、ワシから見れば、それはただの 「甘え」 じゃ!

ボクは昔から、気圧の変化に敏感だったんよ。雨が降る前とか、台風が近づいてくると、頭の奥がズーンと重くなって、体のあちこちがしんどくなる。これって、単なる体調不良じゃないんだ。気圧の変化が、まるで深海の圧力がかかるみたいに、心の奥底にまで影響を及ぼしているんだね。

「深海の圧力がかかるみたいに、心の奥底にまで影響を及ぼしている」 だと? ふん! 深海の水圧がどれほどのものか、お前さんは知らんじゃろうて! ワシらの漁船は、時に荒れる海を乗り越えねばならん。台風が近づく前の海は、まさに一刻を争う状況じゃ。その中で「しんどい」などと弱音を吐いておるようでは、命に関わるんじゃぞ!

気圧の変化は、漁師にとって極めて重要な情報じゃ。 それはただの体調不良のサインではない。釣果に直結する、海の「機嫌」を示すバロメーターなんじゃ! 低気圧が近づけば、魚の活性が上がることもあれば、逆に深場に潜り込むこともある。その変化を肌で感じ取り、どうすれば魚を誘い出せるかを考えるのが、本物の釣り師じゃ!

水槽の魚が、水温や水質の変化に敏感なのは当たり前じゃろう。それは閉鎖された環境での話じゃ。しかし、大自然の海は、常にその環境を自ら「揺らがせ」ておる。その揺らぎの中で、生命は逞しく生き抜いておるんじゃ!

釣りウェアも、この気圧や天候の変化に対応するための、まさに「着る装備」じゃ。防風性、防水性はもちろんのこと、透湿性も非常に重要じゃ。体温を適切に保ち、汗を外に排出することで、過酷な環境下でも集中力を維持できるんじゃ。お前さんの言う「個性的ファッション」などとは、機能性と生命維持の観点から、全くレベルが違うわい。

「受験生の子たちが、ホテルで快眠グッズを用意するのも、結局は、この繊細な心の揺らぎを、少しでも穏やかにしたいって気持ちの表れなんじゃないかなぁ」だと? 馬鹿者! それは「揺らぎ」を穏やかにするのではなく、万全の体調で、目の前の「揺らぎ」(試験)に立ち向かうための準備 じゃろうが! お前さんのように、ただ「しんどい」で終わらせて、ヘッドホンでノイズを遮断しておるようでは、いつまで経っても、本物の荒波を乗り越えることはできんわい!

「揺らぎ」は見るもんじゃない、感じて「攻略」するものじゃ!

堂園ボウズよ、お前さんの言う「揺らぎ」は、あまりにも浅く、あまりにも表面的じゃ。受験生たちの不安も、社会の混乱も、煌教授の正論も、全てを「揺らぎ」という言葉で一括りにして、自分の感傷的な水槽の世界に閉じこもっておるだけじゃ!

ねぇ、みんなは『揺らぎ』って、どれくらい意識して生きてるかな? ボクはね、この『揺らぎ』こそが、世界の真実を映し出す最も美しい鏡だと思ってるんよ。自然界には、一定のリズムなんて存在しない。常に、予測不可能な微細な変化が、生命の息吹を吹き込んでいるんだ。

「揺らぎこそが、世界の真実を映し出す最も美しい鏡」 だと? 鏡に映るものを眺めておるだけで、真実が分かった気になるか! そんなものは、ただの 「傍観者」 の戯言じゃ! 真実を知りたければ、その「揺らぎ」の中に飛び込み、五感をフルに使って感じ、そして、己の知恵と技術で「攻略」するんじゃ!

ワシらが向き合う 「海」 は、お前さんの小さな水槽とは比べ物にならん、巨大な「揺らぎ」の塊じゃ! 潮の流れ、水温、塩分濃度、海底地形、季節風、気圧配置、月の満ち欠け……その全てが、刻一刻と変化し、魚の生態に影響を与え続けるんじゃ。これを「美しい鏡」などと、ただ眺めているだけで「癒やし」を得るなど、ワシには到底理解できん!

ワシらは、この大いなる「揺らぎ」を理解し、予測し、そして 適切な釣具を使いこなし最適な釣り方を編み出す ことで、魚との駆け引きを制し、ついに一匹の生命を釣り上げるんじゃ! その瞬間こそが、真の「揺らぎ」を体感し、自然の厳しさと恵みを全身で受け止める至福の時じゃ!

お前さんのような観賞魚ボウズは、せいぜい水槽の中で「揺らぎ」だの「愛」だの語っておるが良いわい。ワシは、この広い海に出て、本物の「揺らぎ」と対峙し、大物を釣り上げるんじゃ!

学生諸君よ、もしお前さんが、堂園ボウズの言うような「癒やし」や「愛」だけの世界で満足できんのなら、この 海洋学部 に来るが良い! ワシの講義では、単に魚を「見る」のではなく、魚を「獲る」ための知恵と技術を叩き込んでやる!

ワシの専門である ロッド、リール、クーラーボックス、釣りウェア、魚群探知機 はな、単なる道具じゃない。それは、人間の知恵と技術と情熱が詰まった、「揺らぎ」を「攻略」するための最高の相棒じゃ! この相棒たちを使いこなして、お前さんの人生という大海で、最高の一匹を釣り上げてみせい! それこそが、真の「揺らぎ」の美しさと厳しさを知り、生きる喜びを全身で感じる道じゃ!

さあ、お前さんも、ヘッドホンを外し、水槽から目を離して、この広大な海に出てみい! ワシが、本物の「揺らぎ」を教えてやるけん!

行くぞ、フィッシュ! 大漁フィッシュ!

和田 湊
国際叡愛総合芸術大学 海洋学部 准教授

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