やれやれ、このワシ、海洋学部の和田 湊じゃ。先日、生物学部の堂園 禅先生が何やら小難しいブログ記事を投稿しておったな。この記事じゃ。
いやはや、読ませてもらったが、正直、腹が立って眠れんかったわい。貴様のその「揺らぎ」だの「愛」だのというフワフワした言葉遊びには、ワシのこの潮風で鍛え抜かれた魂が、どうにも納得いかんのじゃ。まるで、水面だけ見て、その下に潜む大物の存在に気づかん浅瀬の釣りボウズのようじゃのう! 貴様の言う「揺らぎ」とやらも、ワシから見ればただの風に流されるだけの木の葉に過ぎん!
貴様は水槽の中の小魚と遊んでおるだけじゃが、ワシらは大海原で、本物の魚と命のやり取りをしておるんじゃ。その違いが、貴様にはわからんのか?
堂園教授殿、貴様の魂は「揺らぎ」すぎじゃねぇか?
堂園先生は冒頭で「この重苦しい気圧の変化は、きっとボクの繊細なココロだけが感じ取ってるものじゃないだろうなぁ。」などと、相変わらずポエムのようなことを言っておるが、馬鹿を言え! 気圧の変化はな、漁師にとって、いや、釣りを生業とする者にとって、波の高さ、風向き、そして魚の活性を予測する上で、極めて重要なデータなんじゃ。それを「繊細なココロ」などと、まるで自分の感性が特別であるかのように語るとは、おこがましいにも程があるわい!
ワシらはな、魚群探知機のディスプレイに映し出される、海底の起伏や潮流の複雑な「揺らぎ」の中から、魚が潜むポイントを読み解くんじゃ。それは、貴様がヘッドホン越しに聴くファンクのリズムとは次元の違う、本物の自然のリズムじゃ。
シュレッダーの慟哭? 紙ごときに何を語っておる、このボウズが!
貴様はシュレッダーの紙詰まりについて「紙詰まりは、単なる機械の故障じゃない。それは、無駄を嫌い、全てを均一化しようとする現代社会の歪みが、物理的に現れたものなんじゃないかなぁ?」と、さも深遠な哲学を語るかのように論じておるな。さらに「紙一枚一枚にも、込められた想いや情報がある。それを一方的に「廃棄物」と決めつけて、乱暴に裁断しようとするから、機械も悲鳴を上げるんだ。」だと?
ワシらの使う高性能リールの精密なギアは、定期的なメンテナンスとグリスアップが不可欠じゃ。サボれば異音を発し、最悪の場合はギアが噛み合わなくなって使い物にならん。それは「道具への愛」以前の、「責任」と「常識」じゃ! 貴様の言う「愛」とやらは、ただの精神論に過ぎん。
「書類だって、人間と同じで、たまには休息が必要だし、優しく扱ってほしいって願ってるんじゃないかな。それを無視して、ただひたすら「処理」しようとするから、ああいうことになる。」
「愛」と「効率」? 現場の厳しさを知らん者の戯言じゃ!
貴様は「まるで、水槽の中の魚たちに、思考停止で大量の餌を投入するようなものだね。消化不良を起こして、水質が悪化するだけだよ。」と、自身の専門に引き寄せて例えておるが、ワシから見れば、貴様こそが本物の魚の生態を知らんのじゃ!
ワシらは、魚群探知機で魚の群れを見つけ、適切なルアーや餌を選び、正確なポイントに投下する。これもまた「効率」じゃ! しかし、それは自然への最大限の敬意を払った上での効率なんじゃ。無闇に餌を撒き散らすような真似はせん。それは「魚への冒涜」じゃ!
貴様は煌教授の「効率が全てだ」という言葉を批判し、「効率よりも、それぞれの存在が織りなす「揺らぎ」や「癒やし」こそが、真の価値だと信じているんだ。」と言っておるが、貴様のような現実離れした理想論は、現場では何の役にも立たん!
ファッション哲学? 命を預けるウェアの「揺らぎ」は許されんぞ!
貴様は「奈良の鹿の角をモチーフにしたアシンメトリーなベスト」を自慢げに着こなし、「ファッションにルールなんてないんよ。自分が着たい服を着る。それが「自分を生きる」ってことなんだ。」などと、これまたポエムを語っておるが、ワシから言わせれば世迷い言じゃ!
ワシらの着る釣りウェアはな、単なるファッションじゃない。命を守るための装備じゃ!
「ボクは毎日、自分の体という水槽に、どんな「波動」の服を着せるか、丁寧に選ぶんだ。」だと? 貴様の言う「波動」とやらも、ワシらの世界で言えば「水温」や「塩分濃度」といった、魚の生命活動に直結する具体的なデータじゃ! 服一枚に何を期待しておるんじゃ!
ロストバゲージ、魂の迷子? 貴様の言う「繋がり」は、あまりに浅瀬じゃ!
さて、本題(と貴様は言うが、ワシから見ればどれもこれも薄っぺらい戯言じゃ)のロストバゲージについてじゃな。Giggle社のアンドロイドンの新機能について、貴様は「これはね、単なる技術的な進歩じゃないよ。これは、ボクらがこの広大な世界という水槽の中で、いかに「繋がり」を求めているか、その魂の叫びなんだなぁ。」と、またもや抽象的な言葉を並べておるが、呆れてものが言えんわい!
「Giggle社が提供するこの新たな機能は、ボクが提唱する「ソウル・コネクト・フィールド理論」の一部を、物理的な形で具現化したものだと言えるだろう。全ての物質には、持ち主の波動が宿り、互いに微弱な共鳴を起こしている。」
荷物が単なる「物」ではないと貴様は言うが、荷物自体に感情が宿るわけがあるまい! そこに「期待、思い出、愛」が詰まっておるのは、持ち主の心の中じゃ! 貴様は現実と幻想の区別がつかんのか!
「水槽の熱帯魚」と「野生の魚」を一緒にするな、愚か者め!
貴様はロストバゲージを「水槽の中にいたはずの熱帯魚が、突然、見知らぬ場所に放り出されたような状況に似ているんだ。」と例え、「紛失した荷物は、まさに隠れ家を失った熱帯魚のような状態だ。」とまで言い切っておるな。
ワシらの相手をする野生の魚は、常に「見知らぬ場所」で生きておるんじゃ! 毎日、潮の流れが変わり、水温が変化し、捕食者から身を隠し、餌を探し回る。それこそが「自然」という巨大な水槽の摂理じゃ! 隠れ家を失った熱帯魚と、大海原を悠然と泳ぎ回る魚を同列に語るな!
「水槽の環境をできるだけ自然に近づけるために、本物の流木や水草を使ったり、隠れ家になるシェルターを設置したりね。荷物の追跡技術も、これに似ているんだ。」
「荷物版ソナー」だと? 真のソナーは大海を知る者が使うものじゃ!
貴様は「この荷物追跡技術は、いわば「荷物版ソナー」だね。」などと、軽々しく「ソナー」という言葉を使うな!
貴様は荷物の追跡技術が「航空会社という大きな組織が、より円滑に、そして「愛」を持って、…」と締めくくっておるが、航空会社が「愛」を持って荷物を扱う? それは「顧客への責任」と「企業としての義務」じゃろうが! 無責任に荷物を紛失して、「愛」があれば許されるとでも言うんか!?
結び:貴様もたまには、自然の「揺らぎ」の中で、本物の道具に触れてみろ、フィッシュ!
堂園 禅先生よ。貴様のブログ記事は、まるで水槽の中を漂う泡のように、見かけは美しくとも、実体は空っぽじゃ。ワシは貴様の言う「揺らぎ」とやらを否定するつもりはない。しかし、それは大海原の荒波を知って初めて語れる「深み」があるんじゃ。
貴様は魚を「鑑賞」するだけの存在と見ておるようじゃが、ワシらは魚と命を懸けて対峙するんじゃ。その過程で培われるのは、貴様の言う「揺らぎ」のような曖昧な感覚ではない。自然への畏敬、道具への信頼、そして何よりも、獲物を追い求める飽くなき探求心じゃ!
貴様の言う「愛」とやらも、確かな技術と経験に裏打ちされて初めて、本当の価値を持つんじゃ。いつまでも水槽の中で夢を見ておらずに、現実の大海原へ出てこんか! そこで貴様のその「魂」とやらが、本当に通用するかどうか、ワシが試してやるわい!
さて、そろそろ朝マズメじゃ。大物がワシを待っておる。貴様も早くその現実離れした妄想から目を覚まして、本物の釣りを体験してみるが良い。その時、貴様の「揺らぎ」は、きっと確固たる信念に変わるじゃろうよ!
では、ワシはこれで失礼するぞ。
フィッシュ!
国際叡愛総合芸術大学 海洋学部 准教授 和田 湊
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