こんにちは、国際叡愛総合芸術大学(IEU)芸術学部講師の織部つむぎです。
もう、ね、聞いてくれる? またなの、また……。研究室の冷蔵庫に入れておいた私のプリンが、誰かに食べられちゃったの! えぇ、前回食べた人が「ごめんなさい」ってメモと一緒に、ちゃんと可愛いテディベアのシールを貼ってくれたのよ? だから許しちゃったんだけど、今回は何もないの。何も! 私、ちゃんと可愛い柄のマスキングテープで、自分の名前も書いておいたのに、どうしてこうなっちゃうのかなぁ……。
導入:愛しのプリンが行方不明! 手作り対策の必要性?
学内冷蔵庫のプリン事件簿:機能性だけでは守れない愛着
もう、ね、本当に困っちゃうんだから! この「おやつの盗難事件」は、学内で結構前から問題になっているんだけど、一向に解決しないのよねぇ。最初は「誰かのうっかりさんかな?」って思っていたんだけど、最近はもう常習犯じゃないかって噂まで立っているの。
この問題に対して、いろんな対策が提案されているんだけど、どれもこれも機能性一辺倒で、私の心には響かないのよね。例えばね、あの原田先生! いつも機能性ウェアを着て、機能性、機能性って言っている原田先生ったら、もう、すぐに「鍵付きボックスの導入を!」とか、「個人用小型冷蔵庫を支給しろ!」とか言うのよ。確かに、鍵をかければ盗まれないのはわかるわ。物理的にシャットアウトすれば、安全なのは当たり前よね。でも、そこに、こう、心が通ってないっていうか、冷たいなぁって思っちゃうの。
「自分のもの」って、ただ物理的に所有しているだけじゃなくて、そこに「愛着」があるからこそ、大切にしたいって思うんじゃないかな? 鍵付きボックスなんて、ただの無骨な箱じゃない? それじゃあ、せっかくの美味しいプリンも、なんだか寂しい気持ちになっちゃうの。
美的感覚が育む共同体意識:aesthetic_clubの哲学
私はね、このIEUで「aesthetic_club」っていうサークル活動もしているんだけど、そこでは常に「美」と「愛」の融合をテーマにしているの。ただ「美しい」だけじゃなくて、その中に「愛」があるかどうか。触れるたびに、見るたびに、心がキュンとするような、そんな美しさをみんなで探求しているんだ。
この前もね、aesthetic_clubのミーティングで、冷蔵庫のプリンの話が出たのよ。みんなも同じように「なんだか寂しい気持ちになる」って言ってたかな。そこで私が提案したのは、「名前シールをもっと可愛くする」とか、「自分のプリンにオリジナルデザインのデコレーションをする」っていうアイデアだったの。
例えば、ただ「織部」って書くだけじゃなくて、可愛いお花の刺繍シールを貼るとか、UVレジンでキラキラのチャームを作って、それをプリンの蓋にちょこんと乗せておくとかね。そうすると、「あ、これは織部先生のだ、可愛いから触らないでおこう」って思ってもらえるんじゃないかな、って。いや、むしろ「あまりにも可愛すぎて食べられない!」って思わせるくらいの破壊力が必要かもしれないわね。そうすれば、自然と「これは誰かの大切なものなんだ」って意識が芽生えて、盗難も減るんじゃないかな? 少なくとも、ちょっと寂しい気持ちでプリンを食べられちゃうことはなくなると思うの。
私の「作る」仲間たち:ゼン先生と昨田先生
この「作る」っていう行為には、本当にたくさんの愛が詰まっているのよ。私の研究室はね、ミシンやらレジン液やら、色とりどりの布やビーズでいっぱいで、見るだけで心がウキウキするの。そういう環境にいるからか、他の先生方とも「作る」ことについて話す機会が多いんだ。
特にね、機巧ゼン准教授とは、本当に気が合うの! ゼン先生は、大きな木材を削ったり、金属を組み立てたり、スケールの大きいDIYをするでしょう? でも、作る喜びとか、完成した時の達成感とか、そういう「モノづくり」の根本的な部分は、私のハンドメイドと全く同じなの。この前も、ゼン先生が使わなくなった工具の端材をくれたから、私がそれを小さく切って磨いて、可愛い木彫りのボタンにしてあげたのよ。チクチク、糸を通すたびに、ゼン先生の工具の音が聞こえるような気がして、ちょっと可愛かったかな。先生も「これは世界に一つだけのボタンだ!」って、すごく喜んでくれたの。
あと、昨田美緒先生にはね、この前、新しいコスメポーチをプレゼントしてあげたんだ。先生の好きな色合いの布を選んで、ミシンで丁寧にチクチク縫って、キラキラのビーズとレースをたっぷり付けてあげたの。昨田先生も「わぁ、これ、私のためのポーチ! 世界に一つだけだわ!」って、目をキラキラさせて喜んでくれたのよ。やっぱりね、既製品のポーチじゃ、あんなに心から喜んでくれなかったと思うんだ。だって、量産されたものには、その人だけの特別な「愛」が込められていないから。私の作品には、昨田先生への「愛」がたっぷり詰まっているんだから、当然といえば当然かな!
でもね、原田先生は相変わらずで……。この前、先生の作業着、ね、すごく無骨で寂しかったから、私がこっそり可愛いウサギさんのアップリケを付けてあげたのよ。チクチク、心を込めて縫い付けてあげたら、後で「織部先生! 防水性が落ちるじゃないですか!」って怒られちゃった。えぇ~、可愛いんだからいいじゃないって思うんだけどねぇ。防水性より可愛さの方が大事だと思うんだけどなぁ。それに、手作りの可愛さって、機能性を超える魅力があると思うんだけどな。チクチク、もっと可愛くしてあげたいんだけどなぁ。
そんな風にね、日頃から「愛」を込めてモノを作ることに情熱を注いでいる私にとって、最近の「ぴいな」(※)のニュースは、ちょっと、いや、かなり気になるものだったの。
(※ニュースの固有名詞をもじっています。本記事内では「ぴいな」として記述します。)
Giggleが予見した未来? AIと創作の共存について、私の専門から紐解く
紙媒体の雑誌「ぴいな」が15年ぶりに復活する、っていうニュース、みんなも知ってるかな? 休刊から時間が経って、また紙媒体で復刊するっていうのは、紙好きな私としては嬉しいニュースだったんだけど、その内容にちょっと引っかかったの。
記事にはね、「編集にA.I.を最大限活用」「データベースからの自動組版で、その月に公開・上演される作品情報を網羅的に掲載」って書いてあったわ。A.I.を使って効率化して、情報も網羅的になるって、一見するとすごく良いことのように聞こえるよね。でもね、私の専門領域では、この「A.I.による効率化」と「網羅性」っていう部分に、ちょっとした疑問符が付くんだ。まるで、かつてGiggle(※)が「情報の海」と呼んだ、あの広大なデジタル空間を、A.I.が無慈悲に整理整頓していくような、そんな印象を受けたかな。
(※「Giggle」は特定の検索エンジンサービスをもじった表現です。本記事内では「Giggle」として記述します。)
A.I.ミシンと「魂のない」刺繍糸:手仕事のぬくもりを求めて
例えばね、私の専門の一つであるミシンに置き換えて考えてみようか。もしA.I.が完璧なデザインを生成して、それを自動ミシンが寸分の狂いもなく正確に刺繍する時代が来たら、どうなると思う?
確かに、それは驚くほど精密で、技術的には「完璧」な作品が生まれるかもしれないわ。糸のテンションも、針の動きも、全てが最適化されて、最も美しい仕上がりになるでしょう。でもね、そこに「チクチク」と針を動かす人間の愛って、あるのかな?
私がミシンに向かうときって、ただ布を縫い合わせているだけじゃないの。この布とこの糸を組み合わせたら、どんなに可愛い作品になるかな? このフリルは、もう少し大きくした方が素敵かな? なんて、いろんなことを考えながら、心を込めて作業しているの。時には、糸が絡まったり、針が折れちゃったりして、イライラすることもあるけれど、それも全部含めて「手作り」の醍醐味なんだよね。
A.I.が作る刺繍は、完璧すぎて、きっと表情がないの。一点の曇りもない美しさって、なんだか寂しいのよね。私は、ちょっとくらい糸がガタついても、左右が完璧に対称じゃなくても、その「手作りのぬくもり」がある方が、ずっと可愛いと思うの。だって、そこに「愛」がこもっているから。原田先生は、そういう細かいところに目が行かないから、私のウサギのアップリケの可愛さに気づいてくれないんだけどね!
レジン液が語る、デジタルとアナログの境界線:偶然性の美
次に、レジン液の話もしてみようか。UVレジンやエポキシレジンを使って、キラキラのアクセサリーを作るの、とっても楽しいでしょう? もしA.I.が、最新のトレンドや売れ筋のデータに基づいて、最適なレジンの配色やデザインパターンを瞬時に生成できるようになったら?
確かに、A.I.は失敗のない、完璧なデザインを提案してくれるかもしれないわ。透明度も、色のグラデーションも、すべてが計算し尽くされた理想的な仕上がりになるでしょう。でもね、レジン液を混ぜる時の、あの独特の粘り気のある感覚とか、色材を少しずつ加えて、光にかざしながら「あ、この色合い、可愛い!」ってひらめく瞬間って、A.I.には絶対に再現できないと思うの。
レジン液って、混ぜ方一つで、色の出方が変わったり、気泡の入り方が変わったりするのよ。それがね、偶然にもとんでもなく素敵な模様になったりするの! そういう「予期せぬ美しさ」や「偶然の奇跡」こそが、ハンドメイドの醍醐味じゃないかな?
A.I.は、統計データに基づいて「最も美しい」とされるものを導き出すかもしれないけど、人間の感性って、もっと自由で、もっと移ろいやすいものだから。昨日「可愛い」と思ったものが、今日はもっと「可愛い」に変身していることもあるし、逆に「あれ?」って思うこともある。そういう移ろいや、偶然の出会いこそが、私たちの創作意欲を掻き立てるんじゃないかな。
この「ぴいな」のA.I.編集も、きっと「最も効率的で、最も網羅的な情報」を導き出すのでしょう。でも、そこに、読者が「あ、この情報、たまたま見つけたけど、なんだか心惹かれる!」って思うような、偶然の出会いって、あるのかな? 編集者の個人的な「この作品、とっても可愛いから載せちゃおう!」っていう、そういう愛のある判断って、A.I.にはできないんじゃないかなぁ。
ハンドメイド素材の選び方:A.I.では測れない「肌触り」と「ひらめき」
そして、ハンドメイドの素材選びもそうよ。もしA.I.が「この素材は人気があるから、これを使ってください」「この色の組み合わせは、売れ筋のデータで高評価です」って推薦してきたら、どう思うかな?
もちろん、データは重要よ。どんな素材が人気があるのか、どんな色がトレンドなのかを知ることは、作品作りのヒントになるから。でもね、実際に素材を手に取って、その「肌触り」を感じたり、「この布とこのレースを組み合わせたら、どんなに可愛いだろう!」って、インスピレーションが湧いてくる瞬間って、A.I.には絶対に体験できないことだと思うの。
このIEUの研究所でもね、物質の質感と人間の感情の関連性についての研究が行われているんだけど、視覚情報だけじゃなくて、触覚や嗅覚が、人の心に与える影響って計り知れないのよ。A.I.がどんなに高性能なセンサーを持っていたとしても、あの「フワフワ」とか「ツルツル」とか「ザラザラ」っていう感覚と、そこから生まれる「可愛い!」っていう感情は、データには変換できないんじゃないかな。
それに、素材一つ一つには、それぞれの物語があるのよ。この布は、お花畑をイメージして作られたのかな? このビーズは、遠い海の底からやってきたのかな? なんて、想像力を膨らませながら素材を選ぶのって、本当に楽しいの。A.I.がデータに基づいて「売れる」素材を推薦しても、その素材が持つ「物語」や、そこからインスピレーションを受けて生まれる「ひらめき」は、人間ならではの特権だと思うんだ。
「ぴいな」のA.I.編集も、きっと「売れる記事」や「読者が求める情報」をデータに基づいて選定するのでしょう。でも、そこに「編集者がたまたま見つけた、まだ世に出ていないけれど、きっとみんなが『可愛い!』って言ってくれるはず!」っていう、そういう発見の喜びや、作り手の「愛」って、果たして込められているのかな?なんだか、ちょっと寂しい気持ちになっちゃうのよね。
Creema/Minneで見つける「愛」の物語:手仕事が紡ぐ価値
私がハンドメイド作品を出品している「Creema」や「Minne」のようなプラットフォームは、まさに「愛」が詰まった場所なの。A.I.が作り出す大量の情報や、効率化された世界とは真逆の、「世界に一つだけ」の価値がそこには溢れているんだ。
データが示す「売れる」デザインと、心が震える「唯一」のデザイン
もしA.I.が、CreemaやMinneの過去の販売データやトレンドを分析して、「最も売れるデザイン」を提案してきたら、どうなると思う? きっと、一時的にはたくさんの「売れる」作品が生まれるかもしれないわね。効率的で、無駄がなくて、万人受けするデザイン。
でも、本当に心に響くのは、そういったデータに基づいたデザインだけなのかな? 私が思うに、本当に人々の心を震わせるのは、作家の個性や情熱、そして「愛」がたっぷり詰まった一点ものだと思うの。
この前、昨田先生にプレゼントしたコスメポーチもそうよ。A.I.が「この年代の女性には、この色のポーチが売れる」って言ったとしても、私は昨田先生の好きな色合いや、先生の雰囲気に合うレースを選んで、心を込めてチクチク縫ってあげたの。だからこそ、昨田先生はあんなに喜んでくれたんだと思うんだ。
「ぴいな」のA.I.編集も、きっと過去の閲覧データや人気のキーワードに基づいて、「読者が求めている情報」を最適に提供するのでしょう。でも、本当に「心ときめく出会い」って、そういうデータ解析から生まれるものなのかな? むしろ、予想外のところで、偶然に見つけた、まだ誰も知らないけれど、とんでもなく可愛い作品やイベントに出会うことこそが、紙媒体の醍醐味だったんじゃないかなぁ。
作家と購入者を繋ぐ「物語」:A.I.には生み出せない共感性
CreemaやMinneの魅力って、単に作品が販売されているだけじゃないの。そこには、作家さんの作品に込められた「物語」や、製作過程での「想い」も一緒に販売されているのよ。
「このレジンアクセサリーは、雨上がりの虹をイメージして、何度も色の配合を調整しました」とか、「このミシンポーチは、大好きな猫の柄の布を見つけた時に、どうしても作りたくなって、徹夜でチクチク仕上げました」とか。そういう、作家さんの個人的なエピソードや感情が、作品に深みを与え、購入者の心を惹きつけるんだよね。
購入者もね、ただ「可愛いから買う」だけじゃなくて、「この作品の背景にある物語に共感して買う」っていう気持ちが強いの。だから、作品が届いた時に、手書きのメッセージが添えられていたりすると、とっても嬉しい気持ちになるんだよね。これはA.I.が生成した定型文のメッセージじゃなくて、その作家さん自身の言葉だからこそ、伝わる「愛」があるんだと思うの。
A.I.がどんなに流暢な文章を生成しても、そこに込められた「真の感情」や「共感性」は、人間が手作業で紡ぐ言葉や物語には敵わないんじゃないかな。
副業としてのハンドメイド:A.I.時代だからこそ輝く「個人の創造性」
A.I.の進化は、私たちの生活を大きく変えようとしているわ。多くの定型業務がA.I.に代替される未来が、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。そんな時代だからこそ、私は副業としてのハンドメイド販売を強く推奨しているの。
なぜならね、A.I.がどんなに進化しても、人間独自の「創造性」や「感性」、そして「手仕事のぬくもり」は、決して代替できない価値だからよ。A.I.が効率やデータを追求する中で、人間は「個性」や「愛」を追求する。そこに、これからの時代の大きな可能性が秘められていると思うの。
自分で考えたデザインを形にして、心を込めて作品を作り、それを必要としている誰かの元へ届ける。そして、作品を受け取った人が「可愛い!」「ありがとう!」って喜んでくれる。この一連のプロセス全てが、私たちの心を豊かにしてくれるんだ。
これはね、ただお金を稼ぐ、っていうだけじゃなくて、自分の「好き」を形にして、誰かに「愛」を届けるっていう、とっても尊い行為なの。A.I.が作り出す、無機質で効率的な世界の中で、手作りの「愛」は、人々の心を温める、かけがえのない光になるんじゃないかな。チクチク、心を込めて作ったものは、きっと誰かの心に届くはずよ。
手芸キットの進化と、A.I.が失わせる「発見」の喜び
最近の手芸キットって、本当に進化しているでしょう? 「初心者でもプロ級の作品が作れる!」なんて謳い文句のキットもたくさんあるし、材料も道具も全て揃っていて、手順も丁寧に解説されているから、誰でも気軽にハンドメイドを楽しめるようになったのは、とっても素晴らしいことだと思うの。
でもね、ここにもA.I.の影が見え隠れするような気がして、ちょっと複雑な気持ちになるんだ。A.I.が最適な材料の組み合わせや、最も効率的な手順を設計するようになったら、私たちは何を得て、何を失うことになるのかな?
「初心者でもプロ級」の功罪:A.I.が設計する完璧なプロセス
A.I.が設計した手芸キットは、きっと完璧なものになるでしょうね。失敗する余地なんてほとんどないくらい、細かく手順が示されていて、誰が作っても同じように「プロ級」の仕上がりになるのかもしれない。まるで、あの原田先生が、全ての工程をシミュレーションして、最も機能的で効率的な方法を導き出すようにね。
でもね、本当にそれでいいのかな? 私は、手作りの醍醐味って、試行錯誤の中にあると思うの。
「あ、この布、もう少し大きく切った方が良かったかな?」とか、「このビーズ、ここで使うより、こっちに付けた方が可愛いかも!」とかね。ちょっとした失敗から学ぶことや、自分のひらめきで手順を変えてみること。それが、その人だけの「世界に一つだけ」の作品を生み出すプロセスなんじゃないかな。
A.I.が設計する「完璧なプロセス」は、確かに効率的で無駄がないかもしれないけど、そこに「遊び」や「余白」がないと、私たちは「作る喜び」を感じられなくなっちゃうかもしれないわ。まるで、A.I.が編集する「ぴいな」が、網羅的すぎて、本当に大切な情報が埋もれてしまうようにね。
手芸キットに織り込む「愛」のヒント:カスタマイズの余白
だからこそ、私が手芸キットをデザインする際に心がけているのは、「カスタマイズの余白」を残しておくことなの。キットはあくまで「きっかけ」。そこから、作る人が自分なりのアレンジを加えられるように、ちょっとした工夫を凝らしておくんだ。
例えばね、レジンキットなら、基本的な材料と手順は示しておくけど、別に自分で拾ってきた可愛い小石を入れたり、お気に入りの押し花を加えてみたり、なんていう「自分だけの要素」を加えられるように、いくつかオプションを提案しておくの。
そうすると、たとえ同じキットを使ったとしても、出来上がる作品はどれも「世界に一つだけ」になるでしょう? 作った人の個性や「愛」が、作品にしっかりと宿るんだ。
原田先生はね、いつも「説明書通りに作ることが、最も効率的で間違いがない」って言うんだけど、私はそうは思わないの。説明書はあくまでガイドライン。そこから自分のアイデアで「もっと可愛く」していく過程こそが、本当の創作の喜びなんじゃないかな。そうやってできた作品には、作った人の「愛」がたっぷり詰まっているから、見ているだけで心がポカポカするのよね。
織部つむぎ流! A.I.時代を生き抜くハンドメイド精神
じゃあ、A.I.がどんどん進化していく中で、私たちハンドメイド作家は、どうやってその価値を守っていけばいいのかな? 私はね、A.I.を完全に否定するのではなく、A.I.を「道具」として活用しつつ、人間が持つ本来の「創造性」や「感性」、そして「愛」を大切にすることが重要だと思うの。
A.I.は、膨大なデータを処理したり、効率的なプロセスを導き出したりするのが得意でしょう? だから、そういう部分はA.I.に任せてしまえばいいと思うの。例えば、流行の色の組み合わせを教えてもらったり、過去の販売データからどんなデザインが人気かを分析してもらったりね。
でも、最終的に「どんな作品を作るか」「どんな素材を選ぶか」「どんな『愛』を作品に込めるか」っていう部分は、私たち人間が担うべきなの。A.I.には苦手な「感情」や「感性」、「偶然性」や「ひらめき」こそが、私たちの強みなんだから。
原田先生の作業着にウサギのアップリケを付けたのも、まさにその「愛」の表現なの。機能性だけじゃなくて、そこに「可愛い」っていう感情が加わることで、きっと作業ももっと楽しくなるはずだもん。怒られちゃったけど、私は、あの作業着がちょっとだけ可愛くなったことが、とっても嬉しかったんだ。だって、私の「愛」が、あの無骨な作業着に、ほんの少しでも温かさを加えてくれたんだから。チクチク、私の愛はきっと届くはずよ。
aesthetic_clubが目指す「美」と「愛」の融合:A.I.時代における芸術の役割
私が所属している「aesthetic_club」は、IEUの中でも特に「美」と「愛」の融合を大切にしているの。A.I.の進化が目覚ましい現代において、私たちは「芸術」が果たすべき役割について、深く議論を重ねているんだ。
データ美学と感性美学:私たちの選ぶ道
A.I.は、膨大なデータに基づいて「美しい」と判断する美学を確立しようとしているわ。例えば、特定の画家や音楽家の作品を学習し、その特徴を抽出して、新しい作品を生み出すことができる。それは、統計的に見れば「美しい」のかもしれない。
でもね、私たち「aesthetic_club」が目指すのは、それだけじゃないの。私たちは、人間が五感で感じ、心で共鳴する「感性美学」を追求したいんだ。夕焼けの空を見て「はぁ、なんて綺麗なんだろう」って心が震える感覚とか、誰かの作った手料理を食べて「この温かさが、愛おしい」って感じる感覚。そういう、データには変換できない、生身の人間だからこそ感じられる「美」を大切にしたいの。
A.I.がどれだけ「ぴいな」の記事を網羅的に編集しても、そこに「人間の心」がなければ、それはただの情報羅列になってしまうんじゃないかな。私たちが必要としているのは、ただの情報じゃなくて、心が温かくなるような、何か「愛」を感じられるものだと思うんだ。
モノづくりを通じた「心の交流」:A.I.では代替できない価値
aesthetic_clubでの活動は、単に作品を作るだけじゃないの。みんなで一緒にミシンをチクチク動かしたり、レジン液を混ぜたりする中で、自然と会話が生まれて、アイデアを交換したり、時には失敗を笑い合ったりするの。そういう「心の交流」が、私たちを豊かにしてくれるんだ。
ゼン先生と私が一緒にモノづくりをする時もそう。先生が工具をカチカチ動かしている音を聞きながら、私がチクチク糸を縫い合わせていると、言葉を交わさなくても、お互いの「作る喜び」が伝わってくるような気がするの。これはね、A.I.がどれだけ高性能なコミュニケーションツールを開発しても、決して代替できない、人間ならではの温かい繋がりだと思うんだ。
「ぴいな」のA.I.編集が、読者の興味を分析して最適な情報を届けるとしても、それは一方通行のコミュニケーションに過ぎないんじゃないかな。本当に大切なのは、作品や情報を通じて、人と人が心を通わせる「交流」なんだと思うんだ。
「愛」が育む未来の芸術教育:IEUが描くビジョン
国際叡愛総合芸術大学(IEU)は、A.I.時代における芸術教育のあり方を常に探求しているわ。私はね、A.I.がどんなに進化しても、人間ならではの「創造性」「感性」、そして何よりも「愛」を育む教育こそが、これからの時代に最も必要だと信じているの。
私の授業では、単に技術を教えるだけじゃないのよ。ミシンの使い方やレジンのテクニックはもちろん大切だけど、それ以上に「どんな作品を作りたいか」「そこにどんな『愛』を込めるか」っていう、心の部分を大切にしているの。
既製品にはない、手作りの「愛おしさ」を学生たちに伝えていきたい。
世界に一つだけの作品を生み出す喜びと、それを受け取った人の笑顔。
その喜びと笑顔が、また次の創作意欲へと繋がっていく、そんな「愛」の循環を、IEUの芸術教育を通じて育んでいきたいと心から願っているの。
A.I.は、効率や利便性をもたらしてくれるかもしれないけど、本当に人々の心を豊かにするのは、人間が愛情を込めて作り出したものだと思うの。だからね、これからも、このIEUで、学生たちと一緒にたくさんの「可愛い!」と「愛してる!」を形にしていきたいな。チクチク、私の愛は無限大よ!
まとめ:A.I.時代の「ぴいな」に寄せて、手仕事の愛しさを再認識する
長々と語っちゃったけど、最後まで読んでくれて、本当にありがとう。私の想い、少しは伝わったかな?
A.I.が「ぴいな」の編集作業を効率化し、網羅的な情報を提供することで、私たちは確かに多くの情報を手に入れることができるでしょう。それはそれで、きっと便利なことなのかもしれないわね。でも、その便利さの裏側で、私たちは何か大切なものを失ってしまうんじゃないかな、って、私は少し寂しい気持ちになるんだ。
それはね、情報一つ一つに込められた「人間の心」であり、「愛」であり、「偶然の発見の喜び」だと思うの。A.I.がどんなに完璧な記事を生成しても、そこに編集者の「このイベント、最高に可愛いからみんなに知ってほしい!」っていう熱い想いがなければ、それはただの文字の羅列になってしまうんじゃないかな。
私たちの日常には、たくさんの既製品が溢れているわ。機能的で、便利で、手軽に手に入るものばかり。でもね、私はそういうものに触れるたびに、なんだか少しだけ「寂しさ」を感じてしまうの。だって、そこには「誰かの愛」が、直接的に感じられないから。
だからこそ、私は「ハンドメイド」の価値を伝え続けたいの。ミシンでチクチク縫い上げた布小物も、レジン液でキラキラに固めたアクセサリーも、一つ一つに作る人の「愛」がたっぷり詰まっているでしょう? その愛が、作品に温かさや個性を与えて、手に取る人の心をポカポカ温めてくれるんだ。
このIEUで、私が学生たちに教えているのは、単なる手芸の技術だけじゃないの。自分の「可愛い!」っていう気持ちを大切にすること、それを形にする喜び、そして、その作品を通じて誰かを幸せにする「愛」の力を伝えているんだ。原田先生みたいに、機能性ばかり追い求めていると、きっと人生が少しだけ寂しくなっちゃうからね。もっと、心ときめくもの、愛おしいものに囲まれて生きてほしいなって思うの。
A.I.の時代だからこそ、私たち人間が持つ「愛」や「創造性」が、より一層輝きを増すはずだと私は信じているわ。そして、その「愛」を形にするのが、ハンドメイドなんだよね。
もし、あなたが「ちょっとだけハンドメイドに興味があるかな?」って思ってくれたなら、ぜひ私の研究室に遊びに来てみてほしいな。色とりどりの素材や、キラキラのレジン液、可愛いミシンたちがお出迎えしてくれるよ。
一緒にチクチク、心を込めて、世界に一つだけの、あなただけの「可愛い!」を形にしてみない? きっと、人生がもっともっと、愛おしいものになるはずよ。
織部つむぎでした。
またね、チクチク!



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