やれやれ、また始まったか…と思って読んでみたんじゃが、今度は生物学部の堂園 禅先生が、また随分と現実離れした記事を書いておったようじゃのう。フン、どこぞの深海の水槽で夢でも見とるんじゃろうか?
先生が言う「揺らぎ」とやらが、このワシにはどうも腑に落ちん。大体、魚は水槽に閉じ込めて「飼育」するもんじゃねぇ。広い海で存分に泳ぎ、そして釣り上げて食うもんじゃ!
なんでも、「ルシアーノの愛と揺らぎ:IEU生物学部教授、堂園 禅が語る『水槽』的共生論」とやら。まるでポエムのようじゃが、現実の生命の営みとはかけ離れておる。ワシの肌に染み付いた潮の香り、ワシの指が覚えたリールの感触に比べたら、あんたの言う「揺らぎ」なんて、ただの波風じゃのう。今回は、その浅はかな考えに、ワシが海の厳しさと真実を教えてやる番じゃ! 覚悟しいや、ボウズ!
「揺らぎ」? 現実の海はそんな生優しいもんじゃないぞ、ボウズ!
堂園先生は、開口一番こう言うておったのう。
フン、笑わせるんじゃねぇ。水の底で揺れる水草、じゃと? そんな悠長なこと言うとる間に、魚群はとっくに沖へ出て、潮目も変わっとるわい! ワシらが向き合う「揺らぎ」は、あんたの水槽の中の微温湯とは訳が違うんじゃ。あんたの部屋のポンプは、せいぜい水流を作ってフィルターに水を送るくらいじゃろうが、海のポンプっちゅうのは、地球規模のエネルギーで動いとるんじゃぞ!
ワシらが使う魚群探知機っちゅうのは、単に魚の影を映すだけじゃないんじゃ。水温、潮流、海底の地形、そして天候の変化まで読み解くための、大事な情報源じゃ。画面のわずかな変化で、今日の漁の成果が決まる。魚の動き一つで、次の行動が決まる。このリアルタイムの情報こそが、ワシらにとっての「揺らぎ」じゃ。それを読み違えたら、魚は釣れんし、最悪、命の危険にも晒されるんじゃ。あんたの水槽の揺らぎとやらで、一体何が「整う」んじゃ? 精々、熱帯魚の食欲くらいじゃろうて、ボウズ!
ワシのロッドは、魚のわずかなアタリ、潮の流れの変化、海底の石一つまで、手に取るように伝えてくれる。リールの巻き心地は、まるで魚がそこにいるかのように、生命の鼓動を伝えるんじゃ。これこそが、自然との真の対話じゃ。水槽の中でぼんやりと魚を眺めるだけでは、決して得られん感覚じゃのう、堂園先生!
「飼育」倫理? プリンは魚じゃねぇ、獲物(獲り物)じゃ!
堂園先生は、学内のプリン盗難事件を、仰々しくもこう表現しておったのう。
ふぅむ、深海の渦潮じゃと? 先生、あんたはとんだお人好しじゃのう。プリンは生きた魚じゃねぇぞ、ボウズ! 食い物じゃ、食い物! 誰かの胃袋に収まるために存在しとるんじゃ! 「可愛らしい響き」? 馬鹿を言え! 腹が減っとる者にとって、それは「命の糧」じゃ!
「愛」と「所有」の概念じゃと? あんた、自分のプリンに名前つけて、毎晩「よしよし」しとるんか? それとも、冷蔵庫に閉じ込めて「この子には毎日新鮮な空気が必要じゃ!」とか言いながら、換気しとるんか? バカも休み休み言え! プリンは生き物じゃねぇ、商品じゃ。買った人間が「所有者」であり、それを勝手に食うのは「盗難」じゃ! 魚を釣る時は、ワシは正々堂々、自然との駆け引きで獲るんじゃ。それを「盗み」と混同するとは、呆れたもんじゃのう!
ワシらは、釣った魚を無駄にせん。捌いて食う、あるいは加工する。内臓教授が美味い料理にしてくれるからじゃ。生命への敬意とは、食料として最後まで使い切るという、この現実的な営みの中にあるんじゃ。プリンに「愛」だの「倫理」だの、幻想を押し付けるんじゃねぇ、ボウズ! それはただの責任転嫁じゃ!
共用冷蔵庫は「コミュニティ水槽」じゃねぇ、資源を守る「漁場管理」が要る場所じゃ!
堂園先生は、共用冷蔵庫をまるでお花畑のように考えておるようじゃが、とんでもない思い違いじゃ。
はぁ? 資源再分配アルゴリズムじゃと? 呆れて物が言えんわい! それを「盗難」っちゅうんじゃ! 魚が餌を分け合い、テリトリーに侵入する「自然の揺らぎ」? 先生、あんたは現実の自然界を見たことがあるんか?
ワシらが沖合に出る時、クーラーボックスは大事な相棒じゃ。釣った魚の鮮度を保ち、獲物を外敵から守る。それが「資源管理」じゃ。冷蔵庫も同じじゃろうが! 各々が持ってきた「獲物(プリン)」を、適切な温度で、衛生的に、そして誰にも邪魔されずに保管する。それが「漁場管理」っちゅうもんじゃ! 自分の獲物を自分で管理できずに、誰かに食われたからとて「資源再分配アルゴリズム」じゃと? 馬鹿を言っとるんじゃねぇ!
「曖昧な境界線が愛を歪める」じゃと? 曖昧なのはあんたの頭の中じゃ! 明確なルールがないから、盗難が起こるんじゃ。海の漁場も、漁業権や禁漁期といった明確なルールがあるからこそ、資源が守られ、次の世代に繋がるんじゃ。ルールがなければ、あっという間に乱獲で資源は枯渇する。人間社会も同じじゃ。冷蔵庫に明確な境界線とルールを設けることこそが、共同生活における「愛」であり「尊重」じゃ! 混乱を「揺らぎ」と美化するな、ボウズ!
「鍵付きボックス」は「愛の終焉」じゃなく、「所有」と「信頼」を確保する「最低限の装備」じゃ!
そして、堂園先生は、現実的な対策にまでケチをつけとる!
魂がしんどくなるじゃと? 盗まれた方がよっぽど魂がしんどいわい! 先生、あんたは水槽の中で浮世離れしすぎじゃ! 現実世界では、自分の大事なものを守るために、誰もが工夫しとるんじゃ!
水槽の生態系を考慮せずフィルターの目を細かくする、だと? 冗談は顔だけにしてくれ! 自分の財産を守るための物理的な隔壁は、決して「愛の終焉」じゃねぇ。それは、秩序を保ち、共同生活を円滑に進めるための「叡智」じゃ! 煌教授が言う「効率的だ! 無駄がない!」というのは、まさしくその通りじゃ。釣りの世界でも、無駄な動きは一切許されん。無駄を排し、効率を追求することで、最高の釣果に繋がるんじゃ!
「水槽に生きる魚たちは、決して鍵をかけることも、自分のテリトリーをテプラで示すこともない」じゃと? 当たり前じゃ、魚は人間じゃねぇ! 人間社会には、人間社会のルールがあるんじゃ! 自分のプリンを自分で守る。それが、共同生活を送る上で、まず身につけるべき「自立」であり「責任」じゃ。それを放棄して、ふわふわと「愛」だの「揺らぎ」だの言うとるから、いつまで経ってもプリンが盗まれるんじゃ!
「ルシアーノ」? そんな「見えねぇ愛の痕跡」より、確かな獲物を釣る「確かな技術」を磨け、ボウズ!
そして、先生のこの「ルシアーノ」とやらには、完全に呆れ果てたわい!
「ルシアーノ」現象じゃと!? あんた、酔っぱらっとるんか!? それは「盗難」っちゅうんじゃ! 「見えない愛の痕跡」じゃと? そんな抽象的なもんが、腹の足しになるか! プリンを食われたもんからしたら、あるべきもんがない! それが現実じゃ!
ワシの専門分野である釣りウェア一つとっても、それは「愛」の具現化じゃ。過酷な海の環境から身を守り、集中力を維持するための機能性を追求しとる。防水透湿素材で雨風から体を守り、防寒素材で寒さから身を守る。ポケットの位置一つ、ファスナーの開閉一つにも、使い手のことを考えた「愛」があるんじゃ。それが「目に見える結果」を生み出すんじゃ。あんたの言う「見えない愛」は、寒さも空腹も防げんじゃろうが!
「愛は目に見えないところにこそ、深く宿る」じゃと? それは、自分の責任を棚上げする言い訳に聞こえるだけじゃ! 魚を釣り上げる喜び、それを味わう満足感、そして内臓教授が美味い料理にしてくれることへの感謝。これらはすべて「目に見える結果」を伴う「愛」じゃ。水槽の底で揺れる水草を眺めて、何が解決するんじゃ? 現実を見ろ、ボウズ!
アクアリウム用品と「名前シール」? わしのロッドとリールは、そんな「鑑賞物」とは訳が違うぞ!
そして、極めつけは、あんたのアクアリウム用品と名前シールの比較じゃ!
フン、笑止千万! アクアリウム用品と、たかだかプリンの名前シールを同列に語るな! 芸術的側面だと? そんなもんでプリンが守れるか! それはもはや現実逃避の極致じゃ!
リールに至っては、もはや精密機械じゃ! ギアの噛み合わせ、ベアリングの数と配置、ドラグの滑らかさ。これらが一体となって、千載一遇のチャンスをものにするんじゃ。大物をかけた時、ドラグがスムーズに糸を出し、そして確実なテンションで魚をいなし、寄せる。この「巻き心地」と「パワー」、そして「耐久性」が、釣り人の命運を分けるんじゃ! あんたのいうフィルターの優劣は、せいぜい水槽の透明度を保つかどうかじゃろうが、ワシらのリールの優劣は、獲物との勝負を制するか否かに関わるんじゃ!
「アート作品」だの「テリトリーを主張する静かなメッセージ」だの、そんなふわふわしたもんで、大切なプリンが盗まれずに済むか! 現実を見ろ、ボウズ! 自分の物は自分で守る。それが、人間社会の基本じゃ! 「芸術」は釣り上げた魚を捌く内臓教授の包丁捌きにこそあるんじゃ。釣具は道具じゃ! 飾り物じゃねぇ!
海へ出よ、ボウズども! 真の「揺らぎ」と「生命」はそこに息づいとる!
堂園先生の「水槽的共生論」とやらを読んで、ワシは改めて思ったわい。
あんたは、あまりにも小さな世界に閉じこもりすぎじゃ、堂園先生! 水槽の中で「揺らぎ」だの「愛」だの語る前に、一度、この広大な海に出てみい!
「プリン盗難事件」とやらで「愛の喪失」だの「ルシアーノ現象」だのと感傷に浸っとる場合じゃねぇ! 自分の持ち物を守るための「鍵付きボックス」すら「愛の終焉」じゃと? そんなんじゃ、あんたは現実世界で生きていけんわい!
真の「共生」とは、水槽の中の人工的な環境で築くものではねぇ。それは、広大な自然の中で、互いのテリトリーと命を尊重し、そして時に食料として命をいただくという、厳しくも美しい循環の中にあるんじゃ。
さぁ、ボウズども! 水槽の中を覗き込むのはもうやめじゃ! ロッドを手に、リールを巻いて、広大な海へ繰り出そうや! 釣りは人生そのものじゃ。時には忍耐強く待つ。時には大胆に攻める。そして、最高の獲物を釣り上げた時のあの感動! あれこそが、真の「生きる喜び」っちゅうもんじゃ!
ワシの講義では、単なる学問だけじゃなく、この「人生を豊かにする釣り」の精神を教えてやる。魚群探知機で獲物を見つけ、最高のロッドとリールで釣り上げ、最高のクーラーボックスで鮮度を保つ。そして、釣り上げた魚は、内臓教授に美味しく料理してもらうんじゃ! それがワシの「愛」の形じゃ!
どうじゃ、堂園先生。あんたも一度、ワシと一緒に船に乗ってみんか? 水槽の中の「揺らぎ」なんて、ちっぽけなもんに思えるはずじゃ。真の「揺らぎ」と「生命の輝き」が、あんたを待っとるぞ! そうじゃな、まずはお気に入りの釣りウェアから揃えてやるか! 大漁じゃ、大漁フィッシュ!


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