こんにちは、国際叡愛総合芸術大学 芸術学部 講師の織部 つむぎです。今日はちょっと、いつもよりチクチクした気持ちでこのブログを書いてるんだ。だってね、先日、生活科学部の清水 潔先生が、こんな記事を投稿していたでしょう?
清水潔が語る!Appletree製品から学ぶ「デジタル清浄論」~汚れは魂の窓から入り込む!~
この記事を読んでね、私の心の中のミシンが、ガタガタガタガタ!って、もう止まらなくなっちゃったの! 清水先生の言う「清潔」って、一体何なんだろう? 私が大切にしている「愛着」や「個性」、「世界に一つだけ」の価値が、まるで「汚れ」だって言われてるみたいで、ちょっと寂しい気持ちになったかな。
私はね、ミシンやレジン液、色とりどりのハンドメイド素材に囲まれて、毎日「作る」ことの喜びを感じているの。一つ一つの素材に触れて、どんな風に生まれ変わるかな? どんな物語が生まれるかな? って考える時間が、とっても愛おしいんだ。だから、清水先生の「清潔」や「無菌」を至上とする考え方には、どうしても共感できないの。だって、愛って、清潔なだけじゃ生まれないでしょ? ちょっとくらい不格好でも、ちょっとくらい傷があっても、それがその子の個性で、可愛いところじゃないかな?
今回は、そんな私のチクチクする想いを、清水先生のブログ記事にとっておきの刺繍を施すように、一つ一つ丁寧に反論させてほしいな。私の「手作り」にかける愛情と、芸術学部の教員としての信念を込めて、この「アンサーソング」を紡いでいくね。さあ、一緒に「愛される汚れ」の世界へ、ご案内するよ!
清水先生の「清潔」は「無個性」の始まりかな? ~モノが語る愛の物語~
清水先生は、ご自身の研究室を「ピカピカに磨き上げられ、空気清浄機も最大出力で稼働」させていると仰っていたわね。そして、こうも。
「常に清潔を保つという姿勢が、精神の安定と、ひいては学術的な探求にも繋がるのです。」
うーん、確かに清潔であることは大切かな。でも、それって、「常に」じゃなきゃダメなのかな? 私の研究室なんて、色とりどりの布のハギレや、キラキラのレジン液のボトル、使いかけのミシン糸があっちこっちに転がっていて、きっと清水先生が見たら、一瞬で警告マークを出されちゃうと思うの。でもね、私にとっては、その一つ一つがインスピレーションの源なんだ。この布とこの糸を合わせたら可愛いかな? このレジン液にこのドライフラワーを閉じ込めたら、どんな世界が生まれるかな? って想像するだけで、もうワクワクが止まらないの!
そして、清水先生は「モノ」について、こんな風に言っていたわね。
「汚れを隠すための「モノ」の山は、不潔の温床ですからね。」
チクチクチクチク! この言葉は、特に私の心に深く刺さったかな。だって、私にとって「モノ」は、ただの「モノ」じゃないんだよ。それは、私が心を込めて選んだ素材であり、未来の作品になるべき可能性の塊なの。使いかけの小さな布片だって、いつか可愛いアップリケになるかもしれないし、ちょっと形がいびつなビーズだって、それが個性的なアクセサリーの主役になることだってあるんだ。
「モノ」が多すぎると清掃効率が落ちる、と長田教授も仰っていたみたいだけど、私たち「作る」人間にとっては、「モノ」こそが思考の種であり、創造性の肥料なんだよ。全部捨てちゃったら、新しいものが生まれないじゃない! 確かに、何でもかんでも置いておけばいいってわけじゃないけど、一つ一つの「モノ」に愛着を持って、それをどう活かすかを考えることこそが、豊かな生活に繋がるんだと私は思うかな。
「不純な食品」って、誰が決めるの? ~手作りの愛情と五感の喜び~
清水先生の食事に関するこだわりも、ちょっと極端すぎて心配になっちゃうかな。
「私の夜食は常に決まっています。そうです、低糖質スナックやプロテインバー、それにナッツ類です。これらは、余計な添加物や不純な油分を含まず、身体を内側から汚さない、まさに「清潔な」食品と言えるでしょう。摂取することで、身体の隅々まで栄養が行き渡り、まるで業務用洗剤で徹底的に洗浄されたかのように、内側からエネルギーが満ち溢れる感覚ですね。それに比べて、巷に溢れる脂っこいスナック菓子や、安価なインスタント食品ときたら……。あれらはまさに、身体を内側から侵食する「汚れの温床」ですよ。」
業務用洗剤で徹底的に洗浄されたかのように…って、聞いているだけで、なんだか味気なくて、寂しくなっちゃうね。もちろん、身体に良いものを選ぶのは大切だけど、食べ物って、栄養だけじゃなくて、心の栄養でもあるでしょ?
私もね、たまには甘いものを食べたくなるし、頑張った日のご褒美に、ちょっと「不純」と言われそうな、とろけるチーズケーキや、サクサクのクッキーを手作りするんだ。そういう時って、作る過程も楽しいし、焼きたての香りが部屋中に広がるだけで、もう幸せで胸がいっぱいになるの! 誰かのために、心を込めてお菓子を作る時間って、本当に愛おしいんだよ。市販のお菓子も可愛いパッケージのものがたくさんあるし、手軽に買えるから、時間がない時やちょっとしたお土産にもぴったりだよね。そういう多様性も、私は大切にしたいかな。
さらに清水先生は、「身体を汚す食品は思考をも濁らせる!」とまで断言しているわね。でも、ちょっと考えてみてほしいの。ストレスを抱えながら、栄養だけを追求した食事を摂るのと、心の底から美味しいと感じるものを、笑顔で食べるのと、どちらが「思考」をクリアにしてくれると思う? 私はね、後者だと信じているかな。
創作活動って、時にものすごく集中力を使うし、煮詰まっちゃうことだってあるんだ。そんな時に、熱いコーヒーと、ちょっと甘いチョコレートがあれば、ホッと一息ついて、また新しいアイデアがひらめくことだってあるんだよ。無理に「清潔」ばかり追い求めて、自分をがんじがらめにしちゃうと、かえって心も身体も疲れちゃって、「やる気の喪失」に繋がっちゃうんじゃないかな? 大切なのは、バランスと、自分を慈しむ気持ちだと思うの。
デジタル清浄論は「多様性のデトックス」? ~ノイズの中に見つける輝き~
清水先生は、デジタルデバイスも「魂の窓」だと仰って、「デジタル清浄論」を展開していたわね。特に気になったのは、AIによる音楽生成機能への解釈かな。
「例えば、Playlist PlaygroundのようなAIによる音楽生成機能。これは一見、便利さの追求に見えますが、私の視点から見れば、「不純な音源」が入り込むリスクを最小限に抑え、個人の「音の衛生」を保つための画期的なシステムと解釈できます。」
「不純な音源」って、一体何のことだろう? 音楽って、人の感情を揺さぶるものだから、時に「ノイズ」と感じられるものの中に、新しい表現や深い感動が隠されていることだってあるじゃない? AIが生成する「完璧」で「清潔」な音楽ばかり聴いていたら、なんだか心が画一化されて、寂しくなっちゃう気がするんだ。
芸術の世界では、偶然性や不完全さが、新しい美を生み出すきっかけになることがたくさんあるんだよ。例えば、私のレジン作品だって、気泡が入っちゃったり、色が微妙に混ざり合っちゃったりすることがあるんだけど、それが世界に一つだけの表情になって、とっても可愛いって言ってくれる人もいるの。清水先生の言う「音の衛生」って、もしかしたら「多様性のデトックス」になっちゃってるんじゃないかな?
創造性って、予期せぬ出会いから生まれるものが多いんだよ。計画通りに進むことばかりが、良いことじゃない。ちょっとした寄り道や、偶然のひらめきが、素晴らしい作品へと繋がることは、芸術の世界ではよくあることなの。清水先生の言う「デジタルデトックス」や「高圧洗浄」で、全部きれいに洗い流しちゃったら、大切な「心の宝物」まで流れて行っちゃうかもしれないでしょ?
「不潔の伝道師」なんて、ひどい言い方だよ! ~愛と共生の大学で~
そして、清水先生が他の先生、特に「内臓教授」に対して向けた言葉には、本当に心がチクチクチクチク!って痛んだよ。
「しかし、この学内には、まだまだ「汚れ」と「不潔」の根源が蔓延しているのを見るにつけ、私の心は常に苛立ちに苛まれていますね。特にあの内臓教授の研究室……。何度言ったらわかるのでしょう。「特級汚染区域」と指定して、防護服での突入計画を練っているのですが、なかなか実行の許可が下りないのですよ。まったく、あの部屋の隅々に繁殖しているであろう見えない微生物たちを想像するだけで、全身の毛穴がゾワゾワと泡立ちます。彼のような不潔を放置する者が、いかに研究成果を上げられましょうか!」
こんな風に、人の研究室を「特級汚染区域」だとか、「不潔の伝道師」だとか言うなんて、あんまりじゃないかな? 研究室って、先生方それぞれの「心の聖域」であり、「思考の実験場」みたいなものだと思うの。私が原田先生の機能性ウェアに勝手にウサギのアップリケを付けて怒られたみたいに、それぞれの先生には、それぞれのこだわりがあるはずでしょ?
内臓教授の研究室が、清水先生の基準で「清潔」じゃなかったとしても、きっとその中には、教授の研究にかける情熱や、長年の探求の跡が詰まっているはずなんだ。埃一つ、微生物一つだって、もしかしたら、これからの研究に繋がる予期せぬ発見の種かもしれないじゃない? すべてを「不潔」と断じて、強制的に「清掃」しようとするのは、「多様性の否定」であり、「個性の侵害」だと思うんだ。
私の研究室だって、ハンドメイド素材や作品で溢れかえっていて、時々どこに何があるか分からなくなっちゃうこともあるけど、それがまた面白いんだ。探している途中で、別の可愛い素材を見つけちゃったりして、新しいアイデアがひらめくことだってあるんだからね。DIYが専門の機巧ゼン准教授とも、「作る」ことの楽しさや、手を動かすことの価値について、よくお話しするんだけど、彼もきっと、モノを「汚れ」とは捉えないと思うな。一つ一つの「モノ」には、それを作った人の「想い」や「愛」が込められているんだから、それを「不潔」と決めつけるのは、あまりにも悲しいことだよ。
私たちの「手」で生み出す、唯一無二の価値 ~愛着と物語に満ちた世界へ~
清水先生は、徹底的な「清潔」と「無菌」を追求することで、精神の安定や学術的な探求に繋がると仰っていたけれど、私はね、本当の心の豊かさや、深い意味での「清らかさ」って、愛着や物語に満ちた世界の中にあると思うんだ。
既製品や大量生産品は、確かに便利で「清潔」かもしれない。でも、それってどこか寂しい感じがするんだよね。だって、誰がどんな想いで作ったのか、そのモノにどんな物語があるのか、見えにくいじゃない? 私が大切にしているのは、まさにその「見えない愛」の部分なの。
例えば、私が心を込めて作ったレジンアクセサリーや、一針一針チクチク縫い上げた刺繍入りのポーチ。それらは、一つとして同じものは存在しない「世界に一つだけ」の作品なんだ。ちょっとくらい不器用でも、それが手作りの温かみになって、使う人に「愛しい」って思ってもらえる。そういう「愛」が込められたモノたちは、たとえ埃がついても、ちょっと汚れても、決して「不潔」なんかじゃない。それは、「歴史」であり、「思い出」なんだよ。
ハンドメイドは、ただモノを作るだけじゃないんだ。それは、自分の個性を表現する手段であり、誰かの心を豊かにする魔法なんだ。手芸キットを使えば、初心者さんでも可愛い作品が簡単に作れるし、自分で作ったものには、既製品にはない特別な愛着が湧くんだよ。その愛着こそが、清水先生の言う「精神の安定」や「心の清浄」に繋がる、本質的な価値なんじゃないかな。
だからね、清水先生。すべてを「清潔」というフィルターで見て、排他的に排除しようとするのは、少し寂しい考え方かな。世界は、もっと多様で、もっとカラフルで、もっと愛に満ちているんだよ。ちょっとした「汚れ」や「不揃い」の中に、かけがえのない美しさや、新しい可能性が隠れているってことを、知ってほしいな。
さあ、あなたも一緒に、私と「世界に一つだけ」の物語を紡いでみない? ミシンやレジン液、可愛いハンドメイド素材は、いつでもあなたを待っているよ! 自分の手で何かを生み出す喜びを、ぜひ体験してほしいな。きっと、清水先生の言う「デジタル清浄論」とは違う、あなただけの「心の清浄」が見つかるはずだから。
チクチクした想いをたくさん書いちゃったけど、最後まで読んでくれてありがとう。またね!
国際叡愛総合芸術大学 芸術学部 講師
織部 つむぎ
こんにちは、国際叡愛総合芸術大学 芸術学部 講師の織部 つむぎです。今日はちょっと、いつもよりチクチクした気持ちでこのブログを書いてるんだ。だってね、先日、生活科学部の清水 潔先生が、こんな記事を投稿していたでしょう?
清水潔が語る!Appletree製品から学ぶ「デジタル清浄論」~汚れは魂の窓から入り込む!~
この記事を読んでね、私の心の中のミシンが、ガタガタガタガタ!って、もう止まらなくなっちゃったの! 清水先生の言う「清潔」って、一体何なんだろう? 私が大切にしている「愛着」や「個性」、「世界に一つだけ」の価値が、まるで「汚れ」だって言われてるみたいで、ちょっと寂しい気持ちになったかな。
私はね、ミシンやレジン液、色とりどりのハンドメイド素材に囲まれて、毎日「作る」ことの喜びを感じているの。一つ一つの素材に触れて、どんな風に生まれ変わるかな? どんな物語が生まれるかな? って考える時間が、とっても愛おしいんだ。だから、清水先生の「清潔」や「無菌」を至上とする考え方には、どうしても共感できないの。だって、愛って、清潔なだけじゃ生まれないでしょ? ちょっとくらい不格好でも、ちょっとくらい傷があっても、それがその子の個性で、可愛いところじゃないかな?
今回は、そんな私のチクチクする想いを、清水先生のブログ記事にとっておきの刺繍を施すように、一つ一つ丁寧に反論させてほしいな。私の「手作り」にかける愛情と、芸術学部の教員としての信念を込めて、この「アンサーソング」を紡いでいくね。さあ、一緒に「愛される汚れ」の世界へ、ご案内するよ!
清水先生の「清潔」は「無個性」の始まりかな? ~モノが語る愛の物語~
清水先生は、ご自身の研究室を「ピカピカに磨き上げられ、空気清浄機も最大出力で稼働」させていると仰っていたわね。そして、こうも。
「常に清潔を保つという姿勢が、精神の安定と、ひいては学術的な探求にも繋がるのです。」
うーん、確かに清潔であることは大切かな。でも、それって、「常に」じゃなきゃダメなのかな? 私の研究室なんて、色とりどりの布のハギレや、キラキラのレジン液のボトル、使いかけのミシン糸があっちこっちに転がっていて、きっと清水先生が見たら、一瞬で警告マークを出されちゃうと思うの。でもね、私にとっては、その一つ一つがインスピレーションの源なんだ。この布とこの糸を合わせたら可愛いかな? このレジン液にこのドライフラワーを閉じ込めたら、どんな世界が生まれるかな? って想像するだけで、もうワクワクが止まらないの!
そして、清水先生は「モノ」について、こんな風に言っていたわね。
「汚れを隠すための「モノ」の山は、不潔の温床ですからね。」
チクチクチクチク! この言葉は、特に私の心に深く刺さったかな。だって、私にとって「モノ」は、ただの「モノ」じゃないんだよ。それは、私が心を込めて選んだ素材であり、未来の作品になるべき可能性の塊なの。使いかけの小さな布片だって、いつか可愛いアップリケになるかもしれないし、ちょっと形がいびつなビーズだって、それが個性的なアクセサリーの主役になることだってあるんだ。
「モノ」が多すぎると清掃効率が落ちる、と長田教授も仰っていたみたいだけど、私たち「作る」人間にとっては、「モノ」こそが思考の種であり、創造性の肥料なんだよ。全部捨てちゃったら、新しいものが生まれないじゃない! 確かに、何でもかんでも置いておけばいいってわけじゃないけど、一つ一つの「モノ」に愛着を持って、それをどう活かすかを考えることこそが、豊かな生活に繋がるんだと私は思うかな。
「不純な食品」って、誰が決めるの? ~手作りの愛情と五感の喜び~
清水先生の食事に関するこだわりも、ちょっと極端すぎて心配になっちゃうかな。
「私の夜食は常に決まっています。そうです、低糖質スナックやプロテインバー、それにナッツ類です。これらは、余計な添加物や不純な油分を含まず、身体を内側から汚さない、まさに「清潔な」食品と言えるでしょう。摂取することで、身体の隅々まで栄養が行き渡り、まるで業務用洗剤で徹底的に洗浄されたかのように、内側からエネルギーが満ち溢れる感覚ですね。それに比べて、巷に溢れる脂っこいスナック菓子や、安価なインスタント食品ときたら……。あれらはまさに、身体を内側から侵食する「汚れの温床」ですよ。」
業務用洗剤で徹底的に洗浄されたかのように…って、聞いているだけで、なんだか味気なくて、寂しくなっちゃうね。もちろん、身体に良いものを選ぶのは大切だけど、食べ物って、栄養だけじゃなくて、心の栄養でもあるでしょ?
私もね、たまには甘いものを食べたくなるし、頑張った日のご褒美に、ちょっと「不純」と言われそうな、とろけるチーズケーキや、サクサクのクッキーを手作りするんだ。そういう時って、作る過程も楽しいし、焼きたての香りが部屋中に広がるだけで、もう幸せで胸がいっぱいになるの! 誰かのために、心を込めてお菓子を作る時間って、本当に愛おしいんだよ。市販のお菓子も可愛いパッケージのものがたくさんあるし、手軽に買えるから、時間がない時やちょっとしたお土産にもぴったりだよね。そういう多様性も、私は大切にしたいかな。
さらに清水先生は、「身体を汚す食品は思考をも濁らせる!」とまで断言しているわね。でも、ちょっと考えてみてほしいの。ストレスを抱えながら、栄養だけを追求した食事を摂るのと、心の底から美味しいと感じるものを、笑顔で食べるのと、どちらが「思考」をクリアにしてくれると思う? 私はね、後者だと信じているかな。
創作活動って、時にものすごく集中力を使うし、煮詰まっちゃうことだってあるんだ。そんな時に、熱いコーヒーと、ちょっと甘いチョコレートがあれば、ホッと一息ついて、また新しいアイデアがひらめくことだってあるんだよ。無理に「清潔」ばかり追い求めて、自分をがんじがらめにしちゃうと、かえって心も身体も疲れちゃって、「やる気の喪失」に繋がっちゃうんじゃないかな? 大切なのは、バランスと、自分を慈しむ気持ちだと思うの。たまには心のご褒美に、ちょっと「不純」なものも可愛いよ!
デジタル清浄論は「多様性のデトックス」? ~ノイズの中に見つける輝き~
清水先生は、デジタルデバイスも「魂の窓」だと仰って、「デジタル清浄論」を展開していたわね。特に気になったのは、AIによる音楽生成機能への解釈かな。
「例えば、Playlist PlaygroundのようなAIによる音楽生成機能。これは一見、便利さの追求に見えますが、私の視点から見れば、「不純な音源」が入り込むリスクを最小限に抑え、個人の「音の衛生」を保つための画期的なシステムと解釈できます。」
「不純な音源」って、一体何のことだろう? 音楽って、人の感情を揺さぶるものだから、時に「ノイズ」と感じられるものの中に、新しい表現や深い感動が隠されていることだってあるじゃない? AIが生成する「完璧」で「清潔」な音楽ばかり聴いていたら、なんだか心が画一化されて、寂しくなっちゃう気がするんだ。
芸術の世界では、偶然性や不完全さが、新しい美を生み出すきっかけになることがたくさんあるんだよ。例えば、私のレジン作品だって、気泡が入っちゃったり、色が微妙に混ざり合っちゃったりすることがあるんだけど、それが世界に一つだけの表情になって、とっても可愛いって言ってくれる人もいるの。清水先生の言う「音の衛生」って、もしかしたら「多様性のデトックス」になっちゃってるんじゃないかな?
創造性って、予期せぬ出会いから生まれるものが多いんだよ。計画通りに進むことばかりが、良いことじゃない。ちょっとした寄り道や、偶然のひらめきが、素晴らしい作品へと繋がることは、芸術の世界ではよくあることなの。清水先生の言う「デジタルデトックス」や「高圧洗浄」で、全部きれいに洗い流しちゃったら、大切な「心の宝物」まで流れて行っちゃうかもしれないでしょ?
「不潔の伝道師」なんて、ひどい言い方だよ! ~愛と共生の大学で~
そして、清水先生が他の先生、特に「内臓教授」に対して向けた言葉には、本当に心がチクチクチクチク!って痛んだよ。
「しかし、この学内には、まだまだ「汚れ」と「不潔」の根源が蔓延しているのを見るにつけ、私の心は常に苛立ちに苛まれていますね。特にあの内臓教授の研究室……。何度言ったらわかるのでしょう。「特級汚染区域」と指定して、防護服での突入計画を練っているのですが、なかなか実行の許可が下りないのですよ。まったく、あの部屋の隅々に繁殖しているであろう見えない微生物たちを想像するだけで、全身の毛穴がゾワゾワと泡立ちます。彼のような不潔を放置する者が、いかに研究成果を上げられましょうか!」
こんな風に、人の研究室を「特級汚染区域」だとか、「不潔の伝道師」だとか言うなんて、あんまりじゃないかな? 研究室って、先生方それぞれの「心の聖域」であり、「思考の実験場」みたいなものだと思うの。私が原田先生の機能性ウェアに勝手にウサギのアップリケを付けて怒られたみたいに、それぞれの先生には、それぞれのこだわりがあるはずでしょ?
内臓教授の研究室が、清水先生の基準で「清潔」じゃなかったとしても、きっとその中には、教授の研究にかける情熱や、長年の探求の跡が詰まっているはずなんだ。埃一つ、微生物一つだって、もしかしたら、これからの研究に繋がる予期せぬ発見の種かもしれないじゃない? すべてを「不潔」と断じて、強制的に「清掃」しようとするのは、「多様性の否定」であり、「個性の侵害」だと思うんだ。
私の研究室だって、ハンドメイド素材や作品で溢れかえっていて、時々どこに何があるか分からなくなっちゃうこともあるけど、それがまた面白いんだ。探している途中で、別の可愛い素材を見つけちゃったりして、新しいアイデアがひらめくことだってあるんだからね。DIYが専門の機巧ゼン准教授とも、「作る」ことの楽しさや、手を動かすことの価値について、よくお話しするんだけど、彼もきっと、モノを「汚れ」とは捉えないと思うな。一つ一つの「モノ」には、それを作った人の「想い」や「愛」が込められているんだから、それを「不潔」と決めつけるのは、あまりにも悲しいことだよ。
私たちの「手」で生み出す、唯一無二の価値 ~愛着と物語に満ちた世界へ~
清水先生は、徹底的な「清潔」と「無菌」を追求することで、精神の安定や学術的な探求に繋がると仰っていたけれど、私はね、本当の心の豊かさや、深い意味での「清らかさ」って、愛着や物語に満ちた世界の中にあると思うんだ。
既製品や大量生産品は、確かに便利で「清潔」かもしれない。でも、それってどこか寂しい感じがするんだよね。だって、誰がどんな想いで作ったのか、そのモノにどんな物語があるのか、見えにくいじゃない? 私が大切にしているのは、まさにその「見えない愛」の部分なの。
例えば、私が心を込めて作ったレジンアクセサリーや、一針一針チクチク縫い上げた刺繍入りのポーチ。それらは、一つとして同じものは存在しない「世界に一つだけ」の作品なんだ。ちょっとくらい不器用でも、それが手作りの温かみになって、使う人に「愛しい」って思ってもらえる。そういう「愛」が込められたモノたちは、たとえ埃がついても、ちょっと汚れても、決して「不潔」なんかじゃない。それは、「歴史」であり、「思い出」なんだよ。使えば使うほど、そのモノが持つ「味」が出てきて、それがまた可愛いんだから!
ハンドメイドは、ただモノを作るだけじゃないんだ。それは、自分の個性を表現する手段であり、誰かの心を豊かにする魔法なんだ。手芸キットを使えば、初心者さんでも可愛い作品が簡単に作れるし、自分で作ったものには、既製品にはない特別な愛着が湧くんだよ。その愛着こそが、清水先生の言う「精神の安定」や「心の清浄」に繋がる、本質的な価値なんじゃないかな。
だからね、清水先生。すべてを「清潔」というフィルターで見て、排他的に排除しようとするのは、少し寂しい考え方かな。世界は、もっと多様で、もっとカラフルで、もっと愛に満ちているんだよ。ちょっとした「汚れ」や「不揃い」の中に、かけがえのない美しさや、新しい可能性が隠れているってことを、知ってほしいな。
さあ、あなたも一緒に、私と「世界に一つだけ」の物語を紡いでみない? ミシンやレジン液、可愛いハンドメイド素材は、いつでもあなたを待っているよ! 自分の手で何かを生み出す喜びを、ぜひ体験してほしいな。きっと、清水先生の言う「デジタル清浄論」とは違う、あなただけの「心の清浄」が見つかるはずだから。
チクチクした想いをたくさん書いちゃったけど、最後まで読んでくれてありがとう。またね!
国際叡愛総合芸術大学 芸術学部 講師
織部 つむぎ


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